キハ56 213



1968年9月10日富士重工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で函館運転所に新製配置された。同一ロット212〜214全車ともに函館へ配置された。函館では急行「宗谷」で運用されたが、1969年の車輛交換で苗穂へ転属している。苗穂では北海道全域の急行列車で使用された。この状態は国鉄末期まで続き、急行削減後も後期車であることから引き続き残った。1985年には、当時登場した「アルファコンチネンタルエクスプレス」で、増結車のキロ26を編成に組み込むと出力低下を起こすことから、これの対策としてキハ56を増結することとなり、当車は室内はそのまま塗装のみ「アルファコンチネンタルエクスプレス」へ変更された。また、その際はキハ29で発電した冷房電源をキハ59へ送電する必要があることから、当車にも引き通し線が設けられた。そしてそのままJR北海道へ継承された。JR化直前にはこの状態を解消すべくキハ56を改造した増結車が登場しており、キロ26 202及び当車は「アルファコンチネンタルエクスプレス」で使用されることはほぼなくなっていた。当車はJR化後は引き続き苗穂配置で急行「そらち」や函館本線山線・札沼線などの普通列車で使用された。そして1989年2月17日付で急行色へ戻されている。急行の廃止及びキハ400系化後は主に波動輸送や宗谷本線方面急行の増結等で使用されたが、1993年には釧路に配置されていた平窓車と交代し、1993年3月17日付で釧路へ転属した。以降釧路地区で波動輸送用として活躍したが、キハ183系の波動用への転用に伴いキハ56系は玉突きで余剰となり、2000年12月11日付で廃車となった。

前面は、モデルチェンジ車であり前面補強がされていない。ワイパーは、WP50に改造されているが正面窓下の手すりは原形のままで、北海道のモデルチェンジ車標準の形態である。デフロスタは北海道標準で左右両側に取り付けられている。当次車はタイフォン下部左右に分かれて制御用ジャンパ受栓があり、受栓自体は耐雪仕様のヒーター入りが取り付けられている。放送ジャンパ受栓は、苗穂工場のモデルチェンジ車標準の、タイフォン横ステップ上部へ設置されている。タイフォンカバーは、原形のシャッター式カバーである。正面窓上の通風口は左右とも撤去されている。当車は貫通扉が平窓車のものに交換されており、扉窓が縦長になっている。これは北海道のモデルチェンジ車ではよく見られる形態である。当車は「アルファコンチネンタルエクスプレス」増結車へと改造された際に、冷房電源引き通し用ジャンパを設置した関係で、助手席側スカートの開口部が拡大されている。
側面は、乗務員室扉は平窓車用のものと交換されている。乗降扉は戸当たりレール1本のモデルチェンジ車用のままであるが、ドア下部の丸窓は撤去されている。側面のサボ挿しは車体中央部窓間下部へ移設されており、従来の扉脇のものは撤去されている。便所部側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。当車はタブレットキャッチャー取付台座が撤去されている。
屋根上は、原形のままの冷房準備車である。
床下はほぼ原形のままであるが、後位側に汚物処理装置を取り付けている。


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