キハ57 1



1961年4月15日日本車輌製の1-1次車で、昭和35年度債務で長野機関区に新製配置された。同一ロット1・2共に長野へ配置された。当車は碓氷峠アプト式区間通過用の専用車で、信越本線の急行「志賀」使用開始し、増備車の登場に伴い「丸池」「とがくし」「妙高」および中央西線の「ちくま」で使用された。しかし登場から年も浅い1963年10月のダイヤ改正で碓氷峠は新線に切り替えられアプト式は廃止となり、また長野までの電化も完成したため碓氷峠を通過する急行は縮小され、直江津へ直通する「妙高」のみとなった。以降は主に中央西線の急行に使用されるようになり、急行「ちくま」「きそ」の他長野周辺の急行「すわ」「のべやま」で使用された。また1971年からは新潟のキハ58系に代わり急行「越後」でも使用されるようになる。幹線の急行で使用されることから1975年までに冷房化されている。しかし1975年3月のダイヤ改正で中央東線の急行「アルプス」が全列車電車された際に松本からまとまった数のキハ58が長野へ転入し、玉突きでキハ57の一部が名古屋や美濃太田へ転出することになった。当車はこの際に1975年3月15日付で名古屋へ転属している。名古屋では急行「のりくら」「紀州」「きそ」等名古屋を起点とする急行で活躍した。しかし1980年代中盤になると急行「きそ」の電車化、急行「のりくら」の削減などで次第に所要数が減少し、特に「59-2改正」で急行「のりくら」の整理が行われた際に余剰となった。しかし当車は当時検査期限切れを控えたキハ57が多く残っていた中込で活用されることとなり、1984年3月12日付で中込へ転属した。中込では小海線で使用されたがあくまで一時的な活躍で、「60-3改正」以降状態の良いキハ58が中込へ転入すると余剰となり、車齢が高く特殊装備で異端車であったことから1985年12月27日付で廃車となった。

前面は、1-1次車であり前照灯とその下の通風口が1-2次車以降に比べ100ミリずつ内側に寄っているのが最大の特徴である。名古屋で前面補強が施工されているが、キハ57の1-1次車への補強板は他の名古屋標準形態とは異なる形状で施工されている。ワイパーはWP35のままである。1-1次車の特徴である短いタイプの正面窓下手すりはそのままである。放送用ジャンパ線受は、タイフォン横に台座付きで設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンはキハ57原形のシャッター式のままである。1-2次車まではステップがタイフォン上部に設置されており、当車はそのまま両側ともタイフォン上部に残っている。
側面はほぼ原形のままである。1-1次車は乗務員ドア及び1位側の客室扉脇の手すりが下に長い特徴を持っている。なお名古屋地区配置車は乗降ドアに後期車に準じ丸窓が設けられている。当車は中込転属後、小海線標準装備である側窓下のサボ挿しが追設されたが、他車に比べ位置が窓1枚分前位側にずれている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形のままである。キハ57は1位側乗務員室床下にある、蛍光灯用のインバータ箱がキハ56や58と比べ内側に寄っているという特徴がある。


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