キハ57 10



1961年5月2日富士重工製の1-1次車で、昭和35年度債務で長野機関区に新製配置された。同一ロット9・10共に長野へ配置された。当車は碓氷峠アプト式区間通過用の専用車で、信越本線の急行「志賀」使用開始し、増備車の登場に伴い「丸池」「とがくし」「妙高」および中央西線の「ちくま」で使用された。しかし登場から年も浅い1963年10月のダイヤ改正で碓氷峠は新線に切り替えられアプト式は廃止となり、また長野までの電化も完成したため碓氷峠を通過する急行は縮小され、直江津へ直通する「妙高」のみとなった。以降は主に中央西線の急行に使用されるようになり、急行「ちくま」「きそ」の他長野周辺の急行「すわ」「のべやま」で使用された。また1971年からは新潟のキハ58系に代わり急行「越後」でも使用されるようになる。幹線の急行で使用されることから1975年までに冷房化されている。しかし1973年7月の中央西線電化後は特急「しなの」増発により急行は徐々に削減され、当車は1974年11月26日付で美濃太田へ転属した。美濃太田では急行「のりくら」の他、「きそ」「紀州」「大社」などで広範囲に運用された。1978年10月のダイヤ改正で中央西線の気動車急行は「赤倉」を除き全廃された際に中部地区では大幅な車両転配があり、当車は1978年10月2日付で名古屋へ転属した。名古屋では引き続き急行「のりくら」「紀州」で活躍した。しかし「60-3改正」で急行「紀州」が廃止され、急行「のりくら」も減車減便されると余剰となり、1-1次車で老朽化が進んでいることとから1986年6月10日付で廃車となった。

前面は、1-1次車であり前照灯とその下の通風口が1-2次車以降に比べ100ミリずつ内側に寄っているのが最大の特徴である。前面補強が施工されているが名古屋タイプとも異なる、1-1次車用の補強板が使用されている。ワイパーはキハ57では珍しくWP50に更新されているが、1-1次車の正面窓下手すりは短いタイプでこれと干渉しないため、原形のままである。放送用ジャンパ線受は、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンはスリット式カバーに改造されている。1-2次車まではステップがタイフォン上部に設置されていたが、当車は両側とも2次車以降に準じタイフォン横へ移設されている。また当車は長野時代の名残で、「架線注意」の札が正面窓上手すりにぶら下がって設けられている。
側面はほぼ原形のままである。1-1次車は乗務員ドア及び1位側の客室扉脇の手すりが下に長い特徴を持っている。なお当車は5次車以降に準じ、乗降扉下部隅に丸窓が後年設けられている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形のままである。キハ57は1位側乗務員室床下にある、蛍光灯用のインバータ箱がキハ56や58と比べ内側に寄っているという特徴がある。


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