キハ57 12



1961年5月15日富士重工製の1-1次車で、昭和35年度債務で長野機関区に新製配置された。同一ロット11〜13共に長野へ配置された。当車は碓氷峠アプト式区間通過用の専用車で、信越本線の急行「志賀」使用開始し、増備車の登場に伴い「丸池」「とがくし」「妙高」および中央西線の「ちくま」で使用された。しかし登場から年も浅い1963年10月のダイヤ改正で碓氷峠は新線に切り替えられアプト式は廃止となり、また長野までの電化も完成したため碓氷峠を通過する急行は縮小され、直江津へ直通する「妙高」のみとなった。以降は主に中央西線の急行に使用されるようになり、急行「ちくま」「きそ」の他長野周辺の急行「すわ」「のべやま」で使用された。また1971年からは新潟のキハ58系に代わり急行「越後」でも使用されるようになる。幹線の急行で使用されることから1975年までに冷房化されている。しかし1975年3月のダイヤ改正で中央東線の急行「アルプス」が全列車電車された際に松本からまとまった数のキハ58が長野へ転入し、玉突きでキハ57の一部が名古屋や美濃太田へ転出することになった。当車はこの際に1975年3月7日付で美濃太田へ転属している。美濃太田では急行「のりくら」「紀州」「大社」等名古屋を起点とする急行で長く活躍した。しかし「57-11改正」で急行「大社」が廃止されると次第にキハ55系に代わり高山本線の普通列車で使用されるようになった。その後「59-2改正」で急行「のりくら」の削減が行われると状態の良いキハ58も普通列車へ進出するようになり、車齢が高く特殊装備のキハ57は真っ先に淘汰対象となり、1984年2月15日付で廃車となった。

前面は、1-1次車であり前照灯とその下の通風口が1-2次車以降に比べ100ミリずつ内側に寄っているのが最大の特徴である。前面補強は施工されていない。ワイパーはWP35のままであり、また1-1次車の特徴である短いタイプの正面窓下手すりはそのままである。放送用ジャンパ線受は、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンは特徴があり、助手席側は原形のシャッター式のままであり、運転席側はスリット式カバーに改造されているがそのスリットが横向きに取り付けられている。1-2次車まではステップがタイフォン上部に設置されており、当車は冷房化後もその特徴を残していた。また当車は長野時代の名残で、「架線注意」の札が正面窓上手すりにぶら下がって設けられている。
側面はほぼ原形のままである。1-1次車は乗務員ドア及び1位側の客室扉脇の手すりが下に長い特徴を持っている。なお当車は5次車以降に準じ、乗降扉下部隅に丸窓が後年設けられている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形のままである。キハ57は1位側乗務員室床下にある、蛍光灯用のインバータ箱がキハ56や58と比べ内側に寄っているという特徴がある。


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