キハ57 17



1961年9月21日日本車輌製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で長野機関区に新製配置された。同一ロット15〜17共に長野へ配置された。当車は碓氷峠アプト式区間通過用の専用車で、信越本線の急行「志賀」「丸池」「とがくし」「妙高」および中央西線の「ちくま」で使用された。しかし登場から年も浅い1963年10月のダイヤ改正で碓氷峠は新線に切り替えられアプト式は廃止となり、また長野までの電化も完成したため碓氷峠を通過する急行は縮小され、直江津へ直通する「妙高」のみとなった。以降は主に中央西線の急行に使用されるようになり、急行「ちくま」「きそ」の他長野周辺の急行「すわ」「のべやま」で使用された。また1971年からは新潟のキハ58系に代わり急行「越後」でも使用されるようになる。幹線の急行で使用されることから1975年までに冷房化されている。しかし1978年10月のダイヤ改正で中央西線の気動車急行は「赤倉」を除き全廃され長野のキハ57は全車余剰となるが、空気バネ台車で乗り心地が良いことから四国の急行列車の指定席で使用することとなり、1978年10月3日付で高松へ転属した。四国では全域の急行で指定席で使用され、そのため先頭に立つ機会が非常に多かった。しかし1980年11月からは急行のグリーン車が廃止され内装はそのままキロ28がキハ28へ格下げされて指定席として使用されるようになったため、キハ57は自由席として使用されるようになってしまった。しかし2エンジンのキハ57・58は組成の都合から引き続き先頭に立って活躍した。しかし「61-11改正」でキハ185系投入により急行が大幅に廃止されると、特殊な空気バネ台車を装備し、なおかつ初期車で車齢の高いキハ57は優先的に淘汰対象となり、JRへ継承されず1987年2月10日付で廃車となった。

前面は、前面補強は施工されていない。ワイパーはWP50へ更新されているが、正面窓下の手すりは原形のままという四国の特徴を有する。放送用ジャンパ線受は、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはスリット式カバーに改造されている。1-2次車まではステップがタイフォン上部に設置されていたが、当車は左右ともタイフォン脇へ移設されている。
側面はほぼ原形のままであるが、後位側便所側面には汚物処理装置の点検蓋が取り付けられている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形のままである。後位側デッキ下に循環式汚物処理装置が取り付けられている。キハ57は1位側乗務員室床下にある、蛍光灯用のインバータ箱がキハ56や58と比べ内側に寄っているという特徴がある。


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