キハ57 18



1961年9月25日日本車輌製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で長野機関区へ配置された。同一ロット18・19が長野へ配置されている。当車は碓氷峠アプト式区間通過用の専用車で、信越本線の急行「志賀」「丸池」「とがくし」「妙高」および中央西線の「ちくま」で使用された。しかし登場から年も浅い1963年10月のダイヤ改正で碓氷峠は新線に切り替えられアプト式は廃止となり、また長野までの電化も完成したため碓氷峠を通過する急行は縮小され、直江津へ直通する「妙高」のみとなった。以降は主に中央西線の急行に使用されるようになり、急行「ちくま」「きそ」の他長野周辺の急行「すわ」「のべやま」で使用された。また1971年からは新潟のキハ58系に代わり急行「越後」でも使用されるようになる。幹線の急行で使用されることから1975年までに冷房化されている。しかし1973年7月の中央西線電化後は特急「しなの」増発により急行は徐々に削減され、当車は1974年12月22日付で美濃太田へ転属した。美濃太田では急行「のりくら」の他、「きそ」「紀州」「大社」などで広範囲に運用されたが、「59-2改正」で急行「のりくら」の整理が行われた際に余剰となった。しかし当車は当時検査期限切れを控えたキハ57が多く残っていた中込で活用されることとなり、1984年6月4日付で中込へ転属した。中込では小海線で使用されたがあくまで一時的な活躍で、「60-3改正」以降状態の良いキハ58が中込へ転入すると余剰となり、車齢が高く特殊装備で異端車であったことから1985年12月19日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形である。放送用ジャンパ線受は、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンはスリット式カバーに改造されている。1-2次車まではステップがタイフォン上部に設置されていたが、当車は両側とも2次車以降に準じタイフォン横へ移設されている。また当車は長野時代の名残で、「架線注意」の札が正面窓上手すりにぶら下がって設けられている。当車は中込では冷房を使用しないことから冷房電源用のKE8Aジャンパケーブルが撤去されている。
側面はほぼ原形のままである。当車は中込転属後、小海線標準装備である側窓下のサボ挿しが追設されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形のままである。キハ57は1位側乗務員室床下にある、蛍光灯用のインバータ箱がキハ56や58と比べ内側に寄っているという特徴があったが、美濃太田配置車の大半は他のキハ58系と同じ位置へ移設されており、当車も同様である。当車は連結器が客車用の大形の密着式自動連結器になっている。


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