キハ57 24



1961年10月27日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で長野機関区に新製配置された。同一ロット23〜27全車が長野へ配置されている。当車は碓氷峠アプト式区間通過用の専用車で、信越本線の急行「志賀」「丸池」「とがくし」「妙高」および中央西線の「ちくま」で使用された。しかし登場から年も浅い1963年10月のダイヤ改正で碓氷峠は新線に切り替えられアプト式は廃止となり、また長野までの電化も完成したため碓氷峠を通過する急行は縮小され、直江津へ直通する「妙高」のみとなった。以降は主に中央西線の急行に使用されるようになり、急行「ちくま」「きそ」の他長野周辺の急行「すわ」「のべやま」で使用された。また1971年からは新潟のキハ58系に代わり急行「越後」でも使用されるようになる。幹線の急行で使用されることから1975年までに冷房化されている。しかし1975年3月のダイヤ改正で中央東線の急行「アルプス」が全列車電車された際に松本からまとまった数のキハ58が長野へ転入し、玉突きでキハ57の一部が名古屋や美濃太田へ転出することになった。当車はこの際に1975年3月7日付で美濃太田へ転属している。美濃太田では急行「のりくら」「紀州」「大社」等名古屋を起点とする急行で長く活躍した。しかし「57-11改正」で急行「大社」が廃止されると次第にキハ55系に代わり高山本線の普通列車で使用されるようになった。その後「59-2改正」「60-3改正」で急行「のりくら」の削減が行われると状態の良いキハ58も普通列車へ進出するようになり、車齢が高く特殊装備のキハ57は真っ先に淘汰対象となり、1985年6月20日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形である。放送用ジャンパ線受は、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンはキハ57原形のシャッター式のままである。
側面はほぼ原形のままであるが、名古屋地区配置車は乗降ドアに後期車に準じ丸窓が設けられている。。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形のままである。キハ57は1位側乗務員室床下にある、蛍光灯用のインバータ箱がキハ56や58と比べ内側に寄っているという特徴があったが、美濃太田配置車の大半は他のキハ58系と同じ位置へ移設されており、当車も同様である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る