キハ57 31



1962年8月22日日本車輌製の4次車で、昭和37年度本予算で長野機関区に新製配置された。同一ロット30〜33全車が長野へ配置されている。当車は碓氷峠アプト式区間通過用の専用車で、信越本線の急行「志賀」「丸池」「とがくし」「妙高」および中央西線の「ちくま」で使用された。しかし登場から年も浅い1963年10月のダイヤ改正で碓氷峠は新線に切り替えられアプト式は廃止となり、また長野までの電化も完成したため碓氷峠を通過する急行は縮小され、直江津へ直通する「妙高」のみとなった。以降は主に中央西線の急行に使用されるようになり、急行「ちくま」「きそ」の他長野周辺の急行「すわ」「のべやま」で使用された。また1971年からは新潟のキハ58系に代わり急行「越後」でも使用されるようになる。幹線の急行で使用されることから1975年までに冷房化されている。中央西線の電化後は一部の仲間は名古屋地区へ転出したが、当車は引き続き長野で急行「ちくま」「越後」を中心に使用された。しかし「53-10改正」で同急行が廃止されると長野のキハ57・58は大量に余剰となり、当車は1978年11月29日付で中込へ転出した。高松・名古屋地区へ転出した仲間は引き続き幹線急行で活躍したが、中込へ転出した仲間は小海線ローカル専属となり、2エンジン車のみの組成で冷房を使用することも無くなった。小海線での活躍は長く続いたが、検査期限前に車両の入れ替えが行われ「59-2改正」により余剰となったキハ57が美濃太田と名古屋から中込へ転入し、当車は1984年9月25日付で廃車となった。

前面は、長野で前面補強が施工されているが、補強板端部が滑らかに仕上げられ分かりにくい。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形である。放送用ジャンパ線受は、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンは原形のシャッター式である。当車は制御用ジャンパ栓納め2つが左右離れている。当車は4次車ながら運転席側の足掛けがタイフォン上部に移設されている。また中込では冷房を使用しないことから冷房電源用のKE7ジャンパケーブルが撤去されている。
側面はほぼ原形のままであるが、当車は小海線標準装備である側窓下のサボ挿しが追設されている。また前面補強施工時にタブレットキャッチャ取付ボルトも撤去されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形のままである。キハ57は1位側乗務員室床下にある、蛍光灯用のインバータ箱がキハ56や58と比べ内側に寄っているという特徴がある。


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