キハ58 2



1961年5月8日新潟鉄工製の1-1次車で、昭和35年度債務で新潟機関区へ配置された。同一ロット1〜3全車が新潟へ配置されている。新潟ではキハ55系に混じり、急行「きたぐに(金沢〜新潟)」や準急「よねやま」で使用開始された。1963年度には長大編成対応の400番台が大量に新潟へ新製され、0番台車の大半は九州へ転出することになり、当車は兄弟の1〜3と揃って、1963年11月19日付で鹿児島機関区へ転出した。その後「ヨンサントオ大改正」で鹿児島担当の急行列車が減少し、当車は兄弟の3と共に福知山機関区へ転出した。兄弟の1は小郡機関区へ転出しており、仲間と一旦離れ離れになる。福知山では急行「丹波」「丹後」「但馬」「だいせん」等で活躍し1970年度に冷房化され、その後も国鉄末期まで当地区で長く使用された。しかし「60-3改正」で急行「きのくに」の特急「くろしお」への格上げにより和歌山機関区から状態の良いキハ58系が大量に福知山地区へ転入し、当車は玉突きで1985年6月10日付で廃車となった。

前面は、豊岡時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。1-1次車は正面窓下の手すりが短い特徴があったが、前面補強の際に後藤工場標準の手すりへ改造されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは前述の通り後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。正面窓上の通風口は、ヘッドライトより内側に10cm寄っており、1-1次車(キハ58 1〜10)の特徴である。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。1-1次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、前面補強時に後藤工場標準の、助手席側はタイフォン横、運転席側は台枠付近赤帯の中へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。よって1-1次車の特徴は内側に寄った正面窓上部の通風口のみであった。
側面はほぼ原形のままであるが、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であり特筆すべき点はない。
床下では、新製当初はFRPの油タンクを装備していたが、のちに他と同じ鋼製のものに交換されている。


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