キハ58 5



1961年5月15日新潟鉄工製の1-1次車で、昭和35年度債務で松本機関区へ配置された。同一ロット4・5両車とも松本へ配置された。松本では中央東線の急行「アルプス」でキハ55に混ざり使用開始した。松本では中央東線の急行「アルプス」でキハ55に混ざり使用開始した。次第にキハ58は増備されキハ58系オンリーの編成となるが、1963年4月より増備車として長大編成対応の400番台が大量に松本に投入されると早くも捻出され1963年5月28日付で次ロットの仲間と共に4〜7の4両が山形へ転属した。山形では急行「ざおう」等で使用されたが長大編成対応車の増備により追われることになり、まず北海道で夏季輸送に使用するため1964年5月20日付で苗穂へ転属したのち、夏季輸送終了後の9月12日付で広島へ転属した。広島では九州へ向かう急行「べっぷ(後の青島)」のほか芸備線の「ちどり」「たいしゃく」で活躍した。1965年度には芸備線運用の一部を岩国へ移管することになり、同年度中に岩国へ転属した。岩国では急行「ちどり」で長く活躍し、1970年6月に若番車にしては早くも冷房化改造されている。以降も国鉄末期まで岩国で急行「ちどり」で活躍した。しかし1983年には亀山・広島・岩国の間で車齢及び汚物処理装置に関連した入れ替えが行われ、広島から後期車が岩国に転属した玉突きで当車は1983年3月3日付で亀山へ転属している。以降亀山ではキハ55系や35系に代わり関西本線・信楽線・片町線・紀勢本線等の普通列車で活躍するようになった。しかし「60-3改正」で和歌山から後期車が転入すると余剰となり、1986年3月10日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。1-1次車は正面窓下の手すりが短い特徴があり当車もその特徴を残しているが、保安上の理由からその下に1-2次車以降と同じ長さの手すりを追設している。ワイパーはWP50へ更新されている。正面窓上の通風口は、ヘッドライトより内側に10cm寄っており、1-1次車(キハ58 1〜10)の特徴である。タイフォンカバーは原形のスリット状のままである。1-1次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、当車はそのままの形態を保っている。放送用ジャンパ受栓は、タイフォン横にステップと一体の台座を介して設置されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。
側面では、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。また広島地区配置の特徴で、側面中央部窓下にサボ挿しが増設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下では、新製当初はFRPの油タンクを装備していたが、のちに他と同じ鋼製のものに交換されている。


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