キハ58 9



1961年5月28日新潟鉄工製の1-1次車で、昭和35年度債務で田端機関区へ配置された。同一ロット9・10両車とも田端へ配置された。田端では当初急行「みやぎの」で使用開始したが、1961年10月のダイヤ改正以降は上野から盛岡へ向かう急行「三陸」で使用された。しかし1963年10月のダイヤ改正で田端への急行型気動車配置は廃止となり盛岡へ運用移管され、10月1日付で転属した。盛岡では急行「三陸」「陸中」「たざわ」等、東北本線北部の急行で使用されたが、長大編成対応の400番台が投入されると玉突きで転出することになり、まず千葉の夏季海水浴輸送で使用するため1965年7月4日付で千葉へ転出し、夏季輸送終了後の8月23日付で福知山へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」「但馬」「だいせん」等で活躍し1971年以降に冷房化され、その後も当地区で長く使用された。1972年度には福知山区の急行型配置が増えたため一部を豊岡へ移管することになり、同年度中に豊岡へ転出した。豊岡でも引き続き急行「丹波」「丹後」「但馬」「だいせん」で国鉄末期まで長く活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により福知山周辺の急行が整理された際に余剰となり、1987年2月6日付で廃車となった。

前面は、豊岡時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。1-1次車は正面窓下の手すりが短い特徴があったが、前面補強の際に後藤工場標準の手すりへ改造されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは前述の通り後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。正面窓上の通風口は、ヘッドライトより内側に10cm寄っており、1-1次車(キハ58 1〜10)の特徴である。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。1-1次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、前面補強時に後藤工場標準の、助手席側はタイフォン横、運転席側は台枠付近赤帯の中へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。よって1-1次車の特徴は内側に寄った正面窓上部の通風口のみであった。
側面はほぼ原形のままであるが、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であり特筆すべき点はない。
床下では、新製当初はFRPの油タンクを装備していたが、のちに他と同じ鋼製のものに交換されている。


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