キハ58 11



1961年5月31日日本車輌製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で田端機関区へ配置された。同一ロット11〜14のうち、11〜13が田端へ配置された。田端では当初急行「みやぎの」で使用開始したが、1961年10月のダイヤ改正以降は上野から盛岡へ向かう急行「三陸」で使用された。しかし1963年10月のダイヤ改正で田端への急行型気動車配置は廃止となり盛岡へ運用移管され、10月1日付で転属した。盛岡では急行「三陸」「陸中」「たざわ」等、東北本線北部の急行で使用されたが、長大編成対応の400番台が投入されると玉突きで転出することになり、まず北海道の夏季送で使用するため1965年4月20日付で函館へ転出し、夏季輸送終了後の9月15日付で福知山へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」「但馬」「だいせん」等で長く活躍したが冷房化されず非冷房車のままであった。「55-10改正」では急行の減車により非冷房の当車は捻出され、普通列車に転用すべく1981年11月29日付で豊岡へ転属した。豊岡では山陰本線・宮津線・舞鶴線の普通列や、冬季は冷房車に混じり急行でも使用された。しかし「61-11改正」で福知山線電化により福知山周辺の急行が整理された際に余剰となり、1987年2月6日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されており、当車はそのままの状態である。放送ジャンパ受栓は、タイフォン横に台座付きで設置されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上もほぼ原形のままである。
床下もほぼ原形のままである。


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