キハ58 12



1961年5月31日日本車輌製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で田端機関区へ配置された。同一ロット11〜14のうち、11〜13が田端へ配置された。田端では1-1次車の8〜10と共に急行「みやぎの」で使用開始したが、1961年10月のダイヤ改正以降は上野から盛岡へ向かう急行「三陸」で使用された。しかし1963年10月のダイヤ改正で田端への急行型気動車配置は廃止となり盛岡へ運用移管され、10月1日付で転属した。盛岡では急行「三陸」「陸中」「たざわ」等、東北本線北部の急行で使用されたが、長大編成対応の400番台が投入されると玉突きで転出することになり、まず北海道の夏季送で使用するため1965年4月27日付で苗穂へ転出し、夏季輸送終了後の9月11日付で福知山へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」「但馬」「だいせん」等で長く活躍し、1971年度には冷房化された。冷房化後も国鉄末期まで福知山配置で急行「丹後」「丹波」等で活躍したが、「60-3改正」で急行「きのくに」の特急「くろしお」への格上げにより和歌山機関区から状態の良いキハ58系が大量に福知山地区へ転入すると当車は余剰となり、1986年1月23日付で廃車となった。

前面は、福知山時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、前面補強時に後藤工場標準の、助手席側はタイフォン横、運転席側は台枠付近赤帯の中へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形のままであるが、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であり特筆すべき点はない。
床下もほぼ原形のままである。


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