キハ58 25



1961年6月20日日本車輌製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で松本機関区へ配置された。同一ロット23〜26全車が松本へ配置された。松本には同時期にキハ58が一挙に投入されており、もちろん中央東線の急行「アルプス」で運用された。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され、松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまう。そのため1963年6月13日付で北海道夏季輸送として苗穂機関区へ転属し、夏季輸送終了後の9月28日付で青森運転所へ転属する。青森では新規に設定された急行「陸中」を中心に活躍するが、青森へも長大編成対応車の増備により翌1964年5月25日には再び北海道夏季輸送として旭川機関区へ転属し、夏季輸送終了後の1964年9月13日付で広島運転所へ転属した。広島では九州へ向かう急行「べっぷ(後の青島)」のほか芸備線の「ちどり」「たいしゃく」で活躍した。1965年度には芸備線運用の一部を岩国へ移管することになり、同年度中に岩国へ転属した。岩国では急行「ちどり」で長く活躍し、1970年度中に冷房化改造されている。以降も国鉄末期まで岩国で急行「ちどり」で活躍した。しかし1983年には亀山・広島・岩国の間で車齢及び汚物処理装置に関連した入れ替えが行われ、広島から後期車が岩国に転属した玉突きで当車は1983年2月20日付で亀山へ転属している。以降亀山ではキハ55系や35系に代わり関西本線・信楽線・片町線・紀勢本線等の普通列車で活躍するようになった。しかし「60-3改正」で和歌山から後期車が転入すると余剰となるが、検査期限の関係からか暫く活用されることとなり1986年3月11日付で米子へ転属した。米子では急行「だいせん」や山陰本線の普通列車で活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で福知山線電化に伴い急行「だいせん」が廃止されると余剰となり、1987年2月6日付で廃車となった。

前面は、岩国時代に前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新され、正面窓下の手すりは前面補強時に両側とも位置が若干下がっている。タイフォンカバーは原形のスリット状のままである。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、当車は両側ともタイフォン上部に残存している。放送ジャンパ受栓はタイフォン横へ設置されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。
側面では、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。また広島地区配置の特徴で、側面中央部窓下にサボ挿しが増設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下もほぼ原形のままである。


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