キハ58 26



1961年6月20日日本車輌製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で松本機関区へ配置された。同一ロット23〜26全車が松本へ配置された。松本には同時期にキハ58が一挙に投入されており、もちろん中央東線の急行「アルプス」で運用された。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され、松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまう。そのため1963年上期で名古屋へ転属した。名古屋では急行「のりくら」「きそ」「紀州」等、名古屋を起点とする急行で広範囲に使用された。その後1970年10月の改正では急行「紀州」の運用の一部が和歌山へ移管されたため、1970年9月22日付で和歌山へ転属している。和歌山では同区の最若番車として長く急行「きのくに」を中心に活躍した。1970年代に冷房化されたものと思われるが詳細は不明である。紀勢西線電化後も急行「きのくに」は残存し活躍していたが、1980年3月に和歌山区の関西本線運用を奈良に分離した際に予備車が削減され、これにより捻出され1980年3月3日付で亀山へ転属した。亀山ではキハ55系に代わり関西本線・信楽線・片町線・紀勢本線等の普通列車で活躍するようになった。しかし1982年5月に関西本線名古屋口が電化され亀山の気動車は余剰気味となっており、1982年11月30日付で美濃太田へ転属した。美濃太田ではキハ55系に代わり高山本線の普通列車で主に活躍するようになった。しかし「59-2改正」で夜行「のりくら」の廃止により若番車は余剰となり、1984年2月2日付で七尾へ転属した。七尾では従来のキハ53に代わり七尾線の普通列車や、急行「能登路」で活躍した。しかし1985年以降急行の削減により各地より状態の良いキハ58が転入すると余剰となり、1987年1月14日付で廃車となった。

イラストは1980年頃の亀山時代のものである。
前面は、前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンカバーは原形のスリット状のままであるが七尾転属後に傘状のカバーを助手席側に被せている。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、運転席側は冷房電源用ジャンパ受栓設置にともない撤去され、助手席側も七尾転属後にタイフォン横へ移設されている。放送ジャンパ受栓はタイフォン横へ設置されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。
側面はほぼ原形であるが、5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が追設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、屋根上の水タンクが新潟・金沢に良く見られる扁平の物に交換されている。
床下はほぼ原形のままである。


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