キハ58 28



1961年6月30日日本車輌製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で松本機関区へ配置された。同一ロット27〜30全車が松本へ配置された。松本には同時期にキハ58が一挙に投入されており、もちろん中央東線の急行「アルプス」で運用された。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され、松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまう。そのため1963年6月16日付で青森へ転属した。青森での活躍は長くなく、1963年度中に郡山へ転属している。郡山では急行「いいで」「いなわしろ」等、東北本線南部の急行で活躍した。しかし1964年度中には郡山への長大編成対応車の増備により捻出され、同年度中に盛岡へ転属した。しかし盛岡でも車輛増備により早々に転属することになり、まず北海道の夏季輸送で使用するため1965年4月19日付で苗穂へ転属し、夏季輸送終了後の9月22日付で水戸へ転属した。水戸では急行「奥久慈」「いわき」「いいで」等で広範囲に活躍した。水戸での活躍は長く続いたが冷房化されることなく非冷房のまま使用された。九州・四国で急行の縮小が目立った「55-10改正」ではこれら地域から水戸へ冷房車が転入し、非冷房の当車は玉突きで1980年10月21日付で盛岡へ転属した。盛岡では急行「陸中」「はやちね」等のほか、キハ55に代わり山田線・釜石線・花輪線等の普通列車でも使用された。しかし東北・上越新幹線開業に伴う「57-11改正」で東北地区の気動車急行は大幅に削減・改変され余剰となり、当車は1982年11月15日付で一ノ関へ転属した。一ノ関では北上線・大船渡線の普通列車でキハ20系・55系に代わり使用されるようになった。しかし国鉄最後の「61-11改正」による車両運用の見直しにより余剰となり、1987年2月5日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンカバーは特徴があり、盛岡転出時に回転蓋式に改造されたが、作用箱が通常はタイフォン横にあるものが当車は上部にあるという変形車である。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、当車は非冷房車であり左右ともタイフォン上部に残存している。放送ジャンパ受栓はタイフォン横へ設置されている。
側面はほぼ原形である。
屋根上も原形のままである。
床下もほぼ原形のままであるが、複線型スノープロウを取り付けている。


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