キハ58 33



1961年7月20日新潟鐵工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で長崎機関区へ配置された。同一ロット31〜34のうち、31〜33が長崎へ、34が竹下へ配置された。長崎ではキハ55系に代わり長崎本線系統の急行で活躍を開始した。当車は初期車の割に転属が少なく、長崎時代に冷房化されている。山陽新幹線博多開業に伴う「50-3改正」では九州内で急行の整理と車両転配があり、1975年3月9日付で直方へ転属した。直方ではキハ58 800番台車と混用で波動用・普通列車として使用された。しかし長崎本線全線電化された1976年7月のダイヤ改正で余剰となり、1976年7月6日付で名古屋へ転属した。名古屋では非冷房車に代わり急行「のりくら」「紀州」「きそ」等で活躍したが、「53-10改正」で中央西線に残っていた気動車急行が電車化され、当車は急行「能登路」の冷房化のため1978年10月5日付で七尾機関区へ転出した。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、廃止が決まっていた越美南線を運用していた美濃太田機関区との間で車両交換が行われ、美濃太田から後期車が七尾へ転出し、当車は1986年10月28日付で美濃太田へ転出した。その後予定通り1986年12月10日越美南線の廃止で余剰となり、JRに継承されること無く、1987年2月9日付で廃車となった。

イラストは1980年頃のものである。
前面は、前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンカバーは原形のスリット状カバーである。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、運転席側は冷房電源用ジャンパ受栓設置にともない撤去され、助手席側のみタイフォン上部に残存している。放送ジャンパ受栓はタイフォン横へステップ一体型の台座付きで設置されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。
側面はほぼ原形のままであるが、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下もほぼ原形のままである。


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