キハ58 37


1981年頃

1961年9月4日新潟鉄工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で広島機関区へ配置された。同一ロット37・38両車とも広島へ配置された。広島では山陽本線の急行で活躍開始したが、1962年上期には新製されたキハ28と交代し、1962年3月21日付で勾配路線を擁する高松へ転出した。高松では四国全域の急行で使用されたが非冷房のままであり、1971年に増備されたキハ65により捻出され千葉に夏季輸送で応援の後に米子に転属した。その後1975年には奥羽本線電化によりキハ181系使用の特急「あおば」が廃止され急行「きたかみ」に格下げされた関係で車両が不足し秋田に転じた。秋田では急行「きたかみ」「しらゆき」「おが」等で活躍したが1982年11月の「57-11改正」で急行の大幅削減により捻出され、1982年11月29日付で熊本に転属した。熊本では非冷房車のためキハ55に代わり豊肥本線や高森線の普通列車で主に使用されたが、「59-2改正」で急行の減車が行われると状態の良い冷房車が捻出され、当車は玉突きで1984年11月20日付で廃車になった。

当車は秋田時代の姿のみ確認できている。
前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。足掛けは初期車らしくタイフォンの上に設置されたままである。放送用ジャンパ栓納めは四国時代の台座と一体になったものがタイフォンの斜め上に設置されているが、当車はそれが左右2箇所にある変形車である。タイフォンカバーは原形のスリット式カバーである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。貫通扉には千葉応援時のヘッドマークステイが残されている。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上もほぼ原形のままである。
床下もほぼ原形のままである。


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