キハ58 44


1990年頃の姿

1961年9月12日東急車両製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で松本機関区へ配置された。同一ロット43〜45のうち、44・45が松本へ配置された。松本には同時期にキハ58が一挙に投入されており、もちろん中央東線の急行「アルプス」で運用された。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され、松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまう。1963年には名古屋機関区へ転出し、中央西線の急行を中心に活躍するようになった。1970年には長野にキハ65が投入され、捻出されたキハ58 400番台が名古屋へ転入し、当車は玉突きで1970年9月22日に和歌山へ転出した。和歌山では急行「きのくに」を始めとして紀勢本線の急行で活躍したが、1978年10月の紀勢西線電化により捻出され、1978年10月13日付で水戸機関区へ転出、水戸区の非冷房キハ58系を置き換えた。水戸では、常磐無線を装備しないことから主に水郡線・磐越東線系統の急行に使用されたが、東北新幹線開業の「57-11改正」で磐越東線急行が廃止され、当車は1982年11月30日付でキハ55の置き換えで遠く直方へ転出した。1984年2月1日には直方から竹下へ転属し、引き続き九州北部の普通列車で使用された。国鉄末期にはローカル線の廃止や気動車列車の電車化により九州の若番キハ58は淘汰が進み、流れ者は優先的に廃車されたが、当車は運良く今後も使用されることになり、1986年11月に長崎に転出し、そのままJR九州へ継承された。JR化後は普通列車の増発等により若番車ながら重宝され、新設された快速「シーサイドライナー」等で使用されたが、1992年7月の改正で急行「由布」「火の山」が特急化された際に快速「シーサイドライナー」がアコモ改造車で運用されるようになり、当車は入れ替わるように1992年7月15日付で熊本へ移動した。翌1993年9月には需給調整で熊本と鹿児島との間でキハ58とキハ47・52との入替があり、当車は鹿児島へ転出した。鹿児島では非ワンマン車であることから指宿枕崎線や日豊本線の運用で使用されたが、老朽化のため1996年12月12日付で廃車となった。

当車はスカート無しの1990年頃の姿しか発見できていない。
前面は、前面補強されておらず、平凡な表情。ワイパーは原形のWP35のまま、正面窓下の手すりも原形のままですっきりした顔立ちである。タイフォンカバーは原型のスリットカバーで、九州では少ないタイプである。放送用ジャンパ線受は、小倉工場標準の、タイフォン上部にある。制御用ジャンパ線受は、左右離れた位置に設置されているが、運転席側のステップも残存しており、九州ではあまり見られない形態である。
側面は、ほぼ原形である。
屋根上も標準的な冷房車の形態で、特筆すべき点は無い。
床下はほぼ原形である。1993年頃以降にスカートが取り付けられたと思われるがその後の写真は発見できていない。

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