キハ58 46


1984年頃の姿

1961年9月16日東急車両製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で米子機関区へ配置された。同一ロット46〜49全車が米子へ配置された。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。その後1965年度には米子への長大編成対応車の増備により捻出され、和歌山へ転属した。和歌山では急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍したが、和歌山でも長大編成対応車の増備により捻出され、再び米子へ戻っている。米子では急行「だいせん」をはじめ山陰本線・伯備線の急行で活躍した。2度目の米子では長く活躍し、1970年代前半には冷房化されている。しかし1982年7月1日のダイヤ改正で伯備線電化により急行「伯耆」が廃止されると余剰となり、1982年7月4日付で亀山へ転属した。亀山ではキハ55系や35系に代わり関西本線・信楽線・片町線・紀勢本線等の普通列車で活躍するようになった。しかし「60-3改正」で和歌山から、「61-11改正」で丹波山陰地区から後期車が転入すると余剰となり、1987年2月10日付で廃車となった。

前面は、米子時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは前述の通り後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、前面補強時に後藤工場標準の、助手席側はタイフォン横、運転席側は台枠付近赤帯の中へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは原形のスリット式カバーである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形であるが、5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が追設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であり特筆すべき点はない。
床下もほぼ原形のままである。


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