キハ58 48


1980年代中盤頃の姿

1961年9月16日東急車両製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で米子機関区へ配置された。同一ロット46〜49全車が米子へ配置された。米子では急行「だいせん」をはじめとして山陰本線・伯備線の急行列車で活躍した。その後1965年度には米子への長大編成対応車の増備により捻出され、和歌山へ転属した。和歌山では急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍した。1967年度には兄弟のキハ58 46・47は再び米子へ戻っているが、当車はその後も和歌山で長く使用され、1970年代中盤には冷房化されている。1973年6月には岡山との間で車両交換があり、キハ58 73が岡山から和歌山へ転属した代わりに、当車は6月27日付で岡山へ転属した。岡山では急行「伯耆」「みまさか」「砂丘」等で使用されたが、1982年には伯備線電化で「伯耆」は廃止され晩年は急行「砂丘」「みまさか」等で活躍した。最後は「60-3改正」で急行「みささ・みまさか」が減便され同列車の岡山担当がなくなり、1985年6月3日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のまま、正面窓下の手すりも原形のままである。放送ジャンパ受栓は、前面補強未施工のためか、関西標準の位置ではなくタイフォン横ステップ下部に設置されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。タイフォンカバーはスリット状である。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下もほぼ原形のままである。


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