キハ58 52


1990年頃の姿

1961年9月20日東急車輛製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で広島機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット52・53が同日に広島へ配置されている。広島では主に山陽本線の急行「べっぷ」「山陽」等で使用されたが、1964年の山陽本線全線電化により急行の大幅改変がなされ、1965年上期に一旦芸備線急行用に岩国へ転出するも、1965年9月30日付で長崎へ転出する。長崎では主に長崎本線系統の急行「いなさ」「弓張」、松浦線の「平戸」で使用された。1970年代中盤までに冷房化されたものと思われる。1975年3月の山陽新幹線博多開業で九州内のキハ58系の入替が行われ、当車はローカル用として1975年上期に直方へ転出する。直方では主に日田彦山線や筑豊地区の普通列車で国鉄末期まで使用された。国鉄最後の「61-11改正」では筑豊地区のローカル線廃止により竹下へ移動することになり、1986年10月31日付で転出した。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後は若番車であまり手を付けられず、九州色への変更も比較的遅い1989年度であった。1987年度には再び直方へ移動した。引き続き筑豊地区でローカル輸送に徹し、1996年の組織改正により筑豊篠栗鉄道部配置となるも、1997年3月に熊本地区にキハ200が投入された際に玉突き転配で当車は余剰となり、1997年8月6日付で廃車となった。

当車はスカート無しの1990年頃の姿しか発見できていない。
前面は、前面補強が施工されておらず、ワイパーは原形のWP35のまま、正面窓下の手すりも原形のままですっきりした顔立ちである。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は後期車と同じ、ステップ一体型となっている。タイフォンカバーは、スリット状ながら九州特有の形態のものを装備している。
屋根上はほぼ原形のままである。排気口が九州標準で屋根より若干飛び出している。
側面はおおむね原型である。
床下はほぼ原形である。1993年頃以降にスカートが取り付けられたと思われるがその後の写真は発見できていない。


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