キハ58 54




JR東日本の急行用アコモ改造車。当車は秋田配置で急行「よねしろ」運用で最後まで使用された。JRに継承されたキハ58では数少ない二ケタ車であった。車番は僚友23のほうが若いが、製造年月日が古いのはこちら54のほうであった。

1961年5月30日富士重工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で竹下気動車区へ配置された。同一ロット54〜56のうち、当車のみ竹下へ配置され、55・56は松本へ配置されている。九州ではキハ55系に代わり準急・急行に使用された。九州島内は車両の交換や担当区所変え等の配置換えが多く、1963年度には大分機関区へ移動した。引き続き久大本線・日豊本線を中心とする、北九州〜九州横断線区の急行で使用された。その後1964年度には竹下へ、1965年度には再び大分へと転々とする。1968年度には急行「えびの」用として熊本機関区へ移動するも、1970年度には担当区所替えで都城へ移動し、引き続き急行「えびの」で使用された。都城の完全冷房化に伴いこの年に冷房化された。都城では比較的長く使用されたが。1979年9月の日豊本線電化によるダイヤ改正「55-10」改正により余剰となり、当車は1980年10月4日付で山形へ転出した。このダイヤ改正では都城・鹿児島から大量の冷房キハ58が山形へ転出したが、キハ58のみで冷房電源付きのキハ28は山形におらず、冷房を使用することができなかった。これにより山形ではキハ58の配置が増加するが、これはキハ55の置き換えに使用された。東北地区白紙ダイヤ改正となる「57-11改正」では引き続き山形に残留し、この年には山形に秋田・美濃太田・向日町・奈良等から冷房キハ28が大量に転入し、当車も冷房を再び使用するようになった。山形では支線急行「月山」「もがみ」「べにばな」等で使用された。そして「60-3」「61-11」改正では急行の大幅削減が行われ山形の若番冷房キハ58は軒並み余剰車となる。しかしながら秋田地区では1986年11月改正で急行「よねしろ」が復活することとなり、これに使用する車両として当車が抜擢され、1986年10月28日付で秋田運転区へ転出する。この秋田が、このあと生涯を全うする場となるのであった。秋田では前述のとおり急行「よねしろ」に主に使用され、この他にも普通列車で男鹿線・田沢湖線でも使用された。この「よねしろ」での活躍は20年以上続き、1991年10月3日にはアコモ改造と車両更新・機関更新を受け、最後は2008年4月2日付で秋田で廃車となった。実に45年もの活躍であった。

外観は、月山・よねしろ向け更新・アコモ改造仕様で、急行色のデザインながらJR東日本のコーポレートカラーを纏っていた。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、1970年度都城の時代であると思われる。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、後位側水タンクキセは東北地区に多いリブの少ないものになっている。また列車無線アンテナ後部に、衛星電話用のアンテナが取り付けられている。(花輪線運用車共通)
側面では、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、他の更新車同様、キハ40系のようなタイプに変更されている。車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋は、原形の通り側面にはない。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。アコモ改造時に、行先方向幕が2・3位側の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。
前面は、国鉄時代に前面補強されているが、板の溶接線は滑らかに仕上げられている。正面貫通ドアは更新時に交換されている。タイフォンカバーは回転式で、この時期に山形に転入した車両の標準装備であるが、当車はタイフォン上部のシャッター用作用箱が撤去されており、特異な形状をしている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されているが、秋田地区標準で、運転室窓下の手すりは変更されていない。放送用ジャンパ栓納めは、秋田地区標準位置ではなく、盛岡地区標準位置に設置されている。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されたが1位側のみ後に復活している。油タンクは角型のものへ交換済み。スノープロウは複線用を取り付けている。便所側は汚物処理タンクを装備しているが、取付時期が新しい(恐らく更新時)のでキハ48等にも見られる角ばったものが取り付けられている。


なお当車は1986年・1990年・1992年頃の姿もご紹介する。


↑1986年頃、国鉄時代、山形配置時点の姿。すでに水タンクキセが交換されている。当社は床下消火器位置が珍しい。


1990年頃

↑JR化後の1990年頃の姿。1986年頃と大差なく、列車無線アンテナが付きJRマークが貼られた以外あまり変わっていない。


1992年頃

↑更新後の1992年頃の姿。晩年とあまり変わらないが、保安ブレーキ等が取り付けられる前である。



1999年頃

↑1999年頃の時点では屋根上に衛星アンテナが増設されていた。またこの頃は正面KE53栓納めが車体裾と同じく緑色に塗装されていた。



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