キハ58 56



1961年5月30日富士重工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で松本機関区へ配置された。同一ロット54〜56のうち、55・56が松本へ配置されている。松本には同時期にキハ58が一挙に投入されており、もちろん中央東線の急行「アルプス」で運用された。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され、松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまう。そのため1963年6月29日付で新潟へ転属した。新潟では急行「きたぐに」「赤倉」等で活躍したが長くなく、同区への長大編成対応車の増備により1963年11月29日付で大分へ転属した。大分では豊肥本線・久大本線系統の急行「由布」「火の山」を中心に活躍した。「ヨンサントオ改正」では日豊本線・鹿児島本線系統急行の電車化もあり運用が減少し、当車は急行「えびの」のキハ58系化促進のため同年度中に熊本へ転属した。熊本では前述の通り主に急行「えびの」で使用されたが、1972年3月のダイヤ改正では車両交換で非冷房キハ58は長崎へ集められることになり、当車は長崎へ転属した。長崎ではキハ58+58で運用された急行「平戸」で活躍したが、1973年以降冷房化され、他車と共通で長崎本線の急行「いなさ・弓張」でも活躍するようになった。長崎本線電化後も引き続き残った急行「出島・弓張」で活躍したが、「57-11改正」で急行は全廃され、以降はローカル輸送を中心に活躍した。その後「59-2改正」で長崎本線の普通列車電車化が進められ、以降は大村線・松浦線の普通で主に使用された。1983年には普通列車用に格下げ使用されていたキハ58系と他の一般型気動車混用時の見苦しさを解消する意味もあり試験塗装が施されたが、結局試験のまま終わり1984年度には元の急行色へ戻されている。そして国鉄末期の「61-11改正」では急行の廃止・減便及び地方交通線の廃止により状態の良いキハ58系が転入すると若番車は余剰となり、1986年12月1日付で廃車となった。

イラストは試験塗装時代のものである。
前面は、小倉工場で前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のまま、正面窓下の手すりも原形のままですっきりした顔立ちである。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、運転席側は冷房電源用ジャンパ受栓設置にともない撤去され、助手席側のみタイフォン上部に残存している。放送用ジャンパ受栓は、タイフォン横にステップ一体型台座付きで設置されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。タイフォンカバーは原形のスリット式カバーである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下もほぼ原形のままである。


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