キハ58 64



1961年6月29日富士重工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で松本機関区へ配置された。同一ロット62〜64全車が松本へ配置された。松本には同時期にキハ58が一挙に投入されており、もちろん中央東線の急行「アルプス」で運用された。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され、松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまう。そのため1963年7月12日付で大分へ転属した。大分では豊肥本線・久大本線系統の急行「由布」「火の山」を中心に活躍した。その後「ヨンサントオ改正」で九州内急行の見直しにより捻出され、同改正で福知山へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」「但馬」「だいせん」等で活躍し1971年以降に冷房化され、その後も当地区で長く使用された。1972年度には福知山区の急行型配置が増えたため一部を豊岡へ移管することになり、同年度中に豊岡へ転出した。豊岡でも引き続き急行「丹波」「丹後」「但馬」「だいせん」で国鉄末期まで長く活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により福知山周辺の急行が整理された際に余剰となり、1987年1月24日付で廃車となった。

前面は、豊岡時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、前面補強の際に後藤工場標準の、助手席側はタイフォンの横、運転席側は台枠付近の赤帯の中へ移設され平凡化されている。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形のままであるが、運転席側窓バランサー点検蓋が後年開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であり特筆すべき点はない。
床下もほぼ原形のままである。


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