キハ58 65



1961年9月12日富士重工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で広島機関区へ配置された。同一ロット65〜67のうち、当車のみ広島へ配置されている。広島では急行「宮島」の他山陽本線から九州へ向かう急行「べっぷ」で活躍開始した。急行「宮島」は1962年には電化され、急行「べっぷ」は後に急行「青島」と名を変えて運転されたが、幹線急行であり冷房化が進むと、非冷房の当車は次第に芸備線急行で主に使用されるようになった。山陽新幹線博多開業に伴う「50-3改正」で急行「青島」が廃止されると当車は捻出され、1975年3月16日付で豊岡へ転属した。豊岡ではキハ55系に代わり急行「丹後」「丹波」「但馬」「だいせん」で使用された。1970年代末期に非冷房車のうち数両は冷房化されたが当車はその対象とならず非冷房のまま国鉄末期まで活躍した。「59-2改正」では需給の関係で1984年2月1日付で福知山へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」等で活躍したが、1985年3月11日には豊岡へ戻っている。そして「61-11改正」で福知山線電化により福知山周辺の急行が整理された際に余剰となり、1987年2月6日付で廃車となった。

前面は、豊岡時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは前述の通り後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。非冷房車ながら制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、前面補強時に後藤工場標準の、助手席側はタイフォン横、運転席側は台枠付近赤帯の中へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーは原形のスリット式カバーである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上もほぼ原形のままである。
床下もほぼ原形のままである。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る