キハ58 66



九州で末期まで残存したキハ58系では数少ない転勤族。

1961年9月12日富士重工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で盛岡機関区へ配置された。同一ロット65〜67のうち、66・67が盛岡へ配置されている。盛岡へは初のキハ58系配置となり、東北北部の急行で使用を開始した。1966年度には秋田へ転属し、奥羽本線の急行で使用されるようになった。東北北部での活躍は「43-10改正」までであり、当改正で東北本線が電化されることから1968年9月27日付で遠く高松運転所へ転出した。高松では四国全域の急行列車で使用された。高松では1972年頃に冷房化された。高松運転所では特急型の配置に伴い配置両数が飽和してきたため、高徳本線系統の急行を徳島へ分離することになり、主に若番車が徳島へ移動する。当車は1972年度中に徳島へ転属した。以後は高徳本線系統の急行「阿波・むろと」や「よしの川」で使用された。「55-10改正」では減量ダイヤ改正となり四国急行が軒並み減車され、高松で捻出された車齢の若いキハ58が徳島へ転入し、徳島の車齢の高い冷房キハ58が水戸及び七尾へ転出し、転出先で更に非冷房のキハ58を捻出するという玉突きが行われた。具体的には高松から徳島へ251・423・654・665・1035・1135・1136の7両が転入し、徳島から水戸へ51・66・69・74・76が、七尾へ96・102・124が転出した。尚冷房車の転入した水戸では非冷房の28・92・105が盛岡へ、256・485・496が人吉へ、766が郡山へ転出し、転出先で更にキハ55を置き換え、水戸ではキハ58の完全冷房化が図られた。当車は前述の通り1980年10月13日に水戸へ転出し、常磐無線を装備していないことから、主に磐越東線・水郡線で使用され、急行「奥久慈」「いわき」「いなわしろ」で使用された。しかし水戸転出も束の間、「57-11改正」では急行「いわき」「いなわしろ」が廃止されることとなり、若番冷房車は主に急行の冷房化で山形へ、又はキハ55系の置き換えで直方へ転出することになった。当車は1982年11月23日付けで直方気動車区へ転出した。直方ではキハ55系を置き換えローカルで使用されたほか、日田彦山線直通の快速列車で使用された。その後国鉄末期に筑豊地区のローカル線が軒並み廃止となり、急行型気動車は竹下へ集められることになり、1986年11月1日付で竹下へ移動、そのままJR九州へ継承された。JR化後しばらくは九州北部で普通列車で使用されていたが、1988年度中に熊本へ転属し、豊肥本線・肥薩線で使用されるようになった。熊本では急行「くまがわ」の増結車として使用する可能性があったことから、ヘッドマーク掛けが取り付けられた。また1989年11月27日付で九州色へ変更された。1997年3月改正では熊本地区へキハ200系が投入され、旧型気動車は淘汰が進むが、当車は辛くも生き残り、1997年3月22日付で筑豊篠栗鉄道事業部(直方)へ転出、主に日田彦山線の普通列車で使用されるようになった。しかし1999年10月の豊肥本線一部電化により、キハ200系及びキハ40系が北九州へ流れ込み、日田彦山線運用のキハ58系は余剰となってしまう。しかし当車は検査期限の関係からか更に生き残り、有効活用するため長崎へ転出した。長崎では快速「シーサイドライナー」等で九州色のまま活躍したが、2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。北東北→四国→南東北→九州と転々として最期を迎えた。

外観は、徳島・水戸時代の面影はあまり無いが、九州生え抜き車とも微妙に異なり、独特の雰囲気であった。
前面は、前面補強がされていない。ワイパーは原形のWP35のまま、正面窓下の手すりも原形のままですっきりした顔立ちである。1-2次車であるがステップの位置は変わっており、初期車のイメージはない。制御用KE53ジャンパ受栓は、2つあるうちの1つが寒冷地形に交換されており、九州に在籍したキハ65 500番台の遺品であると思われる。位置も左右バラバラで特異な形態。放送用ジャンパ受栓は、晩年の九州では珍しく、後期車原型と同じステップ一体型である。四国時代が長かったが、多度津工場タイプの放送ジャンパ受栓にはなっていない。タイフォンカバーは、スリット状ながら九州特有の形態のものを装備している。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。水戸配置歴があるが、わずか2年であり常磐無線対応のクーラー配置にはなっていない。
側面はおおむね原型であるが、側扉の戸袋点検蓋は後期車のような横長のものに更新されている。これは四国時代の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。油タンクは原型のままである。


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