キハ58 70



1961年9月20日富士重工製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で秋田運転区へ配置された。同一ロット68〜70のうち、69・70が秋田へ配置されている。秋田では急行「しらゆき」「おが」を中心に活躍したが、1965年度の長大編成対応車の増備により捻出され、まず北海道の夏季輸送で使用するため1965年4月18日付で函館へ転属し、7月頃には使用先変更で釧路へ移動し、夏季輸送終了後の9月10日付で高松へ転属した。高松では四国全域の急行で使用された。そして四国では末期の1972年度中に冷房化されている。高松運転所では特急型の配置に伴い配置両数が飽和してきたため、1972年度中で高徳本線系統の急行を徳島へ分離することになり、主に若番車が徳島へ移動し当車も徳島へ転属した。以後は高徳本線系統の急行「阿波・むろと」や「よしの川」で使用された。1978年には長野から高松に大量のキハ57が転入し、これと玉突きで高松から徳島へ更に車両の移動が行われ、その際に高松にいた若番車が各地へ転出する玉突きが行われた。当車は1978年10月11日付で七尾へ転出し、当区に配置されていた非冷房キハ58と入れ替わり、七尾線の急行「能登路」で使用されるようになった。七尾では国鉄末期まで長く活躍したが、「61-11改正」で急行廃止により名古屋地区や山陰地区から状態の良いキハ58系が転入すると玉突きで余剰となり、1987年1月14日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP50に更新されており、正面窓下の手すりが無くなった金沢局らしい姿である。1-2次車のステップはタイフォン上部に設置されていたが、運転席側は冷房電源用ジャンパ受栓設置にともない撤去され、助手席側はのちにタイフォン横へ移設されている。放送用ジャンパ受栓は、助手席側タイフォン横のステップ上部に、更にステップ一体型の受栓台座が設置されそこに設けられている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。タイフォンカバーはスリット状であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面は、運転席側窓の点検蓋が開けられている以外は、ほぼ原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、水タンクは扁平のものに交換されている。
床下もほぼ原形のままである。


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