キハ58 75



当車は盛岡配置で、JR東日本東北地区で訓練車キヤ28の伴走車として使用された車。JRに継承されたキハ58では数少ない二ケタ車であった。2018年4月1日時点で車籍があるものの、2008年に相棒のキヤ28が廃車されて以降使用されておらず、秋田総合車両センター(旧土崎工場)での留置が10年以上続いている。

1961年12月16日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で高松運転所へ配置された仲間の1両。同一ロットでは74が同日に高松へ配置されている。高松では四国全域の急行列車に使用された。四国では比較的長く活躍し、1970年前半で冷房化されたものと思われる。1975年度に特急「つばさ」の電化により転入したキハ181系と入れ替わるように、11月16日付で秋田へ転出した。同時にキハ58 16も異動している。秋田では冷房車であることを活かし、急行「しらゆき」等の幹線急行に優先的に使用された。1982年11月の「57-11」改正で急行「しらゆき」等の幹線急行が廃止されると、地方急行の冷房化のため山形へ転出し、「べにばな」「月山」「もがみ」等で使用されるようになった。1985年には急行「陸中」冷房化のため盛岡に転出し、その後一生を盛岡で過ごすこととなる。盛岡では冷房車のため前述のとおり主に急行「陸中」で使用された。JR化直前の1987年3月に盛岡色へ変更された。1991年3月改正で急行「陸中」はすべてキハ110系に置き換えられ用途を失うが、当車はキヤ28に改造されたキハ28 2102とともに、訓練車として使用されることになった。1991年1年23日にキヤ28とともに訓練車として土崎工場を出場したが、当車は控車であり車内外に特に手は加えられておらず、塗装がキヤ28に合わせて急行色+訓練車の表示へと変更されのみであった。この際に機関が新潟鐵工製DMF13HZに換装された。訓練車として2008年まで使用されたが、キヤ28の廃車後は2018年4月1日現在引き続き秋田総合車両所での留置が続いている。車齢は実に57年に達しようとしている。

外観は、原型をよく保っているが、訓練車の標記及び白帯が目立つ。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく高松時代であると思われる。
前面は、国鉄時代の土崎工場標準タイプの前面補強がされている。ワイパーは最後まで旧型のWP35を装備し、WP50への更新はされていない。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区特有の、テールライト左上付近へ移設されている。タイフォンカバーは、当車は新潟地区への配置経歴がないにも関わらず竹槍状の新潟タイプ(旧)のものを装備している。本家の新潟地区ではメッシュ状の筒を被せた新潟タイプ(新)への改造がなされたので、逆にこの新潟タイプ(旧)で残っているのは極めて珍しい事例となっている。(同様の例は、Kenjiとして残存するキハ28 2010にも見られる)
側面もおおむね原型であるが、車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。運転室側窓のバランサー点検蓋は、四国時代のものが残っている。乗務員室扉下部には掴み手が追加されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。側面中央部窓下にはサボ差しが設けられているのは晩年の盛岡地区の共通事項。
屋根上は水タンク・通風器ともに原型である。
床下では、エンジンが新潟鉄工製DMF13HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。油タンクは角型のものへ交換済み。スノープロウは複線用を取り付けている。便所側は循環式汚物処理タンクを装備しているのは、秋田地区の標準装備である。

車体関係が原形に近い形で残る貴重な車であるが秋田での10年近い留置により荒廃が進んでおり、保存されるのか解体されるのか、注目となっている。



キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る