キハ58 76



1961年12月16日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で高松運転所へ配置された。同一ロット75・76両車とも高松へ配置されている。高松では四国全域の急行列車で使用され、キハ65の増備に伴い1972年頃に冷房化された。高松運転所では特急型の配置に伴い配置両数が飽和してきたため、高徳本線系統の急行を徳島へ分離することになり、主に若番車が徳島へ移動する。当車は1972年度中に徳島へ転属した。以後は高徳本線系統の急行「阿波・むろと」や「よしの川」で使用された。「55-10改正」では減量ダイヤ改正となり四国急行が軒並み減車され、高松で捻出された車齢の若いキハ58が徳島へ転入し、徳島の車齢の高い冷房キハ58が水戸及び七尾へ転出し、転出先で更に非冷房のキハ58を捻出するという玉突きが行われた。具体的には高松から徳島へ251・423・654・665・1035・1135・1136の7両が転入し、徳島から水戸へ51・66・69・74・76が、七尾へ96・102・124が転出した。尚冷房車の転入した水戸では非冷房の28・92・105が盛岡へ、256・485・496が人吉へ、766が郡山へ転出し、転出先で更にキハ55を置き換え、水戸ではキハ58の完全冷房化が図られた。当車は前述の通り1980年10月13日に水戸へ転出し、常磐無線を装備していないことから、主に磐越東線・水郡線で使用され、急行「奥久慈」「いわき」「いなわしろ」「あがの」で使用された。東北・上越新幹線開業に伴う「57-11改正」で磐越西線・磐越東線へ乗り入れる急行は廃止されたが、当車は引き続き水戸に留まり急行「ときわ」「奥久慈」で使用されるた。「60-3改正」では急行「ときわ」「奥久慈」も廃止され、主に水郡線の普通列車や臨時急行で使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」では臨時急行の減少等から水戸最若番の当車は余剰となり、1987年3月30日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のまま、正面窓下の手すりも原形のままですっきりした顔立ちである。放送用ジャンパ受栓は、助手席側タイフォン横のステップ上部に、更にステップ一体型の受栓台座が設置されそこに設けられている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。タイフォンカバーはスリット状である。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形であるが、四国時代にバランサー点検蓋が開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下もほぼ原形のままであるが、複線用スノープロウを取り付けている。


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