キハ58 78 → キハ58 7201



急行「丹後」指定席車として改造された7200番台では唯一の2ケタ車。

1961年12月21日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で高松運転所へ配置された。同一ロット77〜80全車が高松へ配置されている。高松では四国全域の急行列車に使用された。四国では比較的長く活躍し、当地では晩年の1972年度に冷房化されたものと思われる。1977年に、一部編成の見直しにより当時高松にいた最若番である当ロットの78〜80が他区へ転出することになり、当車は79と共に1977年3月27日付で岡山へ転出した。岡山では急行「みささ」「砂丘」の増車に使用された。国鉄末期の「60-3改正」では急行「みささ」の大幅減車が行われ、当車を始め若番車は軒並み余剰となるが、当車は運良く豊岡地区の老朽車捻出のため、1986年3月に豊岡へ転出した。当時は1985年3月に和歌山より状態の良い400番台、1100番台が転入し若番車は淘汰が進んでおり、「61-11改正」で福知山線電化された際には後期車が主に残存したが、当車は運良く残留組となり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は、1989年の山陰本線園部電化等で若番車・状態不良車は淘汰が進んだが、当車は引き続き急行「丹後」「但馬」で活躍した。1992年より指定席車のアコモ改造が始まり、この際に2ケタ車ながら種車に抜擢され1992年2月13日付でキハ58 7201へ改造された。その後は指定席車として急行の先頭に立ち活躍したが、1996年3月の山陰本線電化により急行「丹後」は全廃され、1996年3月31日付で廃車となった。

前面は、岡山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりが短くなっているなど、関西標準の形態。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置にある。助手席側ステップが残存しており、さらに高松時代の放送ジャンパ受栓の台座一体型のステップが残存しており、数少ない四国時代の痕跡である。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーはスリット式カバーのままである。テールライトは、外ばめ式に改造されている。
側面はおおむね原型であるが、運転席側窓下部に、四国特有の形状のバランサー点検蓋が設けられている。。
屋根上は、延命工事時に通風器がガーランドベンチレーターに交換されているが、水タンクは原型のままである。
床下は、ほぼ原型である。


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