キハ58 80



1961年12月21日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で高松運転所へ配置された。同一ロット77〜80全車が高松へ配置されている。高松では四国全域の急行列車に使用された。四国では比較的長く活躍し、キハ58では初期の1969年度に冷房化されたものと思われる。1977年に、一部編成の見直しにより当時高松にいた最若番である当ロットの78〜80が他区へ転出することになり、当車は1977年3月28日付で米子へ転出した。米子では急行「だいせん」「伯耆」「さんべ」を中心に活躍したが、1982年7月1日の伯備線電化に伴うダイヤ改正で急行「伯耆」が廃止されたため余剰となり、1982年7月4日付で亀山へ転属した。亀山ではキハ55系や35系に代わり関西本線・信楽線・片町線・紀勢本線等の普通列車で活躍するようになった。しかし「60-3改正」で和歌山から、「61-11改正」で福知山・山陰地区から後期車が転入すると余剰となり、1987年2月10日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のまま、正面窓下の手すりも原形のままですっきりした顔立ちである。放送用ジャンパ受栓は、助手席側タイフォン横のステップ上部に、更にステップ一体型の受栓台座が設置されそこに設けられている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。タイフォンカバーはスリット状である。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面は、運転席側窓の点検蓋が開けられている以外は、ほぼ原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下もほぼ原形のままである。


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