キハ58 82



1962年2月15日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で竹下気動車区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは81〜84が同日に竹下へ配置されている。竹下では主に長崎本線系統及び九州北部の急行列車に使用された。1970年度には九州内での車両交換で当車は大分へ転出し、豊肥本線・久大本線等の横断路線急行で使用された。1974年には鹿児島へ転出するも1975年3月11日には大分へ戻っている。「55-10改正」で九州内の急行が大幅に整理された際に余剰となり、東北地区の冷房化のため1981年3月19日付で山形機関区へ転出した。山形では「月山」「べにばな」「もがみ」等で使用され、「57-11改正」後はキハ28の冷房車も転入したため、本格的に急行の冷房化に貢献した。しかし、「60-3改正」「61-11」改正で山形地区の気動車急行は縮小を続け余剰となるが、秋田地区で復活した急行「よねしろ」用に抜擢され、1986年10月28日付で秋田運転区へ転出し、そのままJRに継承された。JR継承後も引き続き急行「よねしろ」及び普通列車等で使用されたが、1990年上期の気動車整理の際に継続使用対象から外れ、1992年9月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されておらず、すっきりとしている。ワイパーはWP50に更新されているが、手すりの位置はそのままで、秋田地区の特徴である。放送用ジャンパ受栓は山形へ転出した際に、秋田地区標準の位置へ取り付けられた。タイフォンカバーは、山形転出時に回転式のものが取り付けられ、その際に作用箱が支障することから制御用KE53ジャンパ受栓の位置が非冷房車と同じ位置へ移された。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面はおおむね原型であったが、便所側に汚物処理装置の点検蓋が取り付けられていた。
床下は、JR化後に何らかの改造が行われたように見受けられるが、詳細は不明である(上記イラストは原型のままで表現してある)。スノープロウは複線用を装備している。


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