キハ58 84



1962年2月15日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で竹下気動車区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは81〜84が同日に竹下へ配置されている。竹下では主に長崎本線系統及び九州北部の急行列車に使用された。1970年度には九州内での車両交換で当車は大分へ転出し、豊肥本線・久大本線等の横断路線急行で使用された。1973年10月4日には長崎へ転出し、急行「出島」「弓張」で使用されるようになる。1976年7月1日の長崎本線電化によるダイヤ改正で急行「出島」は4往復削減となり、当車は急行で使用されていたキハ55系の置き換えとして、1976年7月8日付で名古屋第一機関区へ転出する。名古屋では急行「きそ」「紀州」「のりくら」等で使用されたが、「53-10改正」で中央西線に残っていた気動車急行が電車化され、当車は急行「能登路」の冷房化のため1978年10月11日付で七尾機関区へ転出した。七尾には各地から比較的車齢の高い初期車が集められたが、国鉄最後の「61-11改正」時に、廃止が決まっていた越美南線を運用していた美濃太田機関区との間で車両交換が行われ、美濃太田から後期車が七尾へ転出し、当車は1986年10月26日付で美濃太田へ転出した。その後予定通り1986年12月10日越美南線の廃止で余剰となり、JRに継承されること無く、1987年2月9日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に名古屋工場標準の前面補強が施工されている。ワイパーはWP35のままであるが金沢時代に運転室側の手すりが撤去され、名古屋タイプの前面補強と相まって独特の顔立ちである。放送用ジャンパ受栓は後期車と同じタイプの、ステップと一体化したものが取り付けられている。タイフォンカバーはスリット状であるが、助手席側に金沢地区特有の傘タイプのカバーが付いている。正面窓上の「架線注意」の札は、九州及び水戸でよく見られた、古典的な大型の札が残っている。
側面はおおむね原形であったが、400番台に準じ、乗降扉下部に、丸窓が設けられている。これは国鉄末期の名古屋・金沢地区では標準的なスタイルである。
屋根上は、水タンクが新潟及び初期の金沢に見られた、扁平のものに交換されてる。
床下は原形のままである。


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