キハ58 89



1962年2月23日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で宮原機関区へ配置された。同一ロット89・90両車とも宮原へ配置されている。宮原では新設された急行「越前」で使用開始した。しかし新製後日も浅い1963年10月以降宮原へ長大編成対応車が増備されると当車は捻出され、同年度中に和歌山へ転属した。和歌山では急行「きのくに」等紀勢本線で活躍した。しかし和歌山へも長大編成対応の400番台車の増備が進むと捻出され、1964年10月19日付で多治見へ転属した。多治見では急行「のりくら」「きそ」等で使用されたが、1965年には美濃太田へ新製された長大編成対応車と入れ替わり転出することとなり、7月22日付で夏季輸送用に千葉へ転出し、夏季輸送終了後9月27日付で高松へ転出した。高松では四国全域の急行で使用されたが、翌1966年度にも千葉地区の夏季海水浴輸送に使用されることとなり6月22日付で千葉へ転属し、夏季輸送終了後の8月25日付で高松へ戻っている。そして1971年頃に冷房化され、その後も長く四国全域で使用された。高松のキハ58 2ケタ車は車両数の増加により大半が1973年に徳島へ転属したが当車は高松に残り、徳島地区を除く四国全域の急行で晩年まで使用された。しかし「61-11改正」でキハ185系投入により急行が大幅に廃止されると淘汰対象となり、JRへ継承されず1987年2月10日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のまま、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、四国標準でタイフォン下部で寄り添う位置へ設置されている。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形である。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。


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