キハ58 90



1962年2月23日日本車輌製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で宮原機関区へ配置された。同一ロット89・90両車とも宮原へ配置されている。宮原では新設された急行「越前」で使用開始した。しかし新製後日も浅い1963年10月以降宮原へ長大編成対応車が増備されると当車は捻出され、同年度中に岡山へ転属した。岡山では山陽本線の他津山線・伯備線の横断路線の準急・急行で使用開始した。後に山陽本線は電化により急行が無くなり、主に伯備線や津山線・因美線・姫新線の急行で活躍した。「47-3改正」後は主に急行「伯耆(しんじ)」「砂丘」「みささ」で活躍したが、1973年上期には向日町との間で車両交換があり、当車は1973年5月21日付で向日町へ転属した。向日町では京都から紀伊半島方面へ向かう急行「志摩」「はまゆう」「くまの」「しらはま」等で活躍した。1970年中盤には冷房化されたものと思われる。その後も長く向日町で活躍したが、1982年5月17日の関西本線名古屋口電化による時刻修正で急行「はまゆう」の1往復が廃止となり余剰となり、1982年6月13日付で亀山へ転出した。亀山では関西本線・信楽線の普通列車でキハ55系に代わり使用されるようになったが、向日町時代に汚物処理装置を取り付けておりこれを活用する要請があったことから、1983年3月7日付で広島へ転属し、代わりに広島の汚物処理装置未取り付け車が亀山へ転属する動きがあった。広島では急行「ちどり」「たいしゃく」等芸備線・木次線の急行で使用された。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行「丹波」の廃止により向日町の状態の良いキハ58系が広島へ転入すると余剰となり、1987年2月2日付で廃車となった。

前面は、向日町時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転室窓下の手すりは原形のまま位置が若干下がった程度であり、広島時代にワイパー更新されたものと思われる。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォン下部で左右離れた位置となっている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間付近に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは外ばめ式に改造されている。
側面はほぼ原形であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、関西標準の、縦長の開口部に蓋がビス止めで設けられている。広島では車両側面中央部窓下にサボ挿しが増設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。


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