キハ58 91



1961年10月10日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で松本機関区へ配置された。同一ロット91・92両車とも松本へ配置されている。松本では急行「アルプス」等中央東線急行で活躍した。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまい、1963年7月頃に名古屋へ転出した。名古屋では、中央本線・関西紀勢本線・高山本線の急行で使用され、「きそ」「紀州」「のりくら」等で活躍した。1970年には長野へキハ65が増備されたことに伴い長野の長大編成対応キハ58が名古屋へ転入し、これによる玉突きで当車は1970年9月22日付で和歌山へ転属した。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」「紀州」で活躍した。1971年度には和歌山へのキハ65新製投入により当車は玉突きで捻出され、1972年3月1日付で岡山へ転属した。岡山では急行「伯耆(しんじ)」「砂丘」「みささ」で活躍したが、1973年上期には向日町との間で車両交換があり、当車は1973年4月9日付で向日町へ転属した。向日町では京都から紀伊半島方面へ向かう急行「志摩」「はまゆう」「くまの」「しらはま」等で活躍した。1970年中盤には冷房化されたものと思われる。その後も長く向日町で活躍したが、1982年5月17日の関西本線名古屋口電化による時刻修正で急行「はまゆう」の1往復が廃止となり余剰となり、1982年5月13日付で奈良へ転出した。奈良では急行「かすが」で使用されたが、「57-11改正」における編成短縮により余剰となり1982年11月15日付で亀山へ転属した。亀山では関西本線・信楽線の普通列車でキハ55系に代わり使用されるようになったが、向日町時代に汚物処理装置を取り付けておりこれを活用する要請があったことから、1983年3月7日付で広島へ転属し、代わりに広島の汚物処理装置未取り付け車が亀山へ転属する動きがあった。広島では急行「ちどり」「たいしゃく」等芸備線・木次線の急行で使用された。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行「丹波」の廃止により向日町の状態の良いキハ58系が広島へ転入すると余剰となり、1987年2月2日付で廃車となった。

前面は、向日町時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転室窓下の手すりも原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォン下部で左右離れた位置となっている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間付近に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは原形の内ばめ式である。
側面はほぼ原形であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、関西標準の、縦長の開口部に蓋がビス止めで設けられている。広島では車両側面中央部窓下にサボ挿しが増設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。


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