キハ58 94



1961年10月20日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で松本機関区へ配置された。同一ロット93〜95全車が松本へ配置されている。松本では急行「アルプス」等中央東線急行で活躍した。中央東線では長大編成を組み活躍したが、1963年には長大編成対応の400番台が一挙に投入され松本配置の基本番台は早くも追われる立場となってしまい、1963年7月12日付で高松へ転属した。高松では四国全域の急行で使用されたが非冷房のままであったため1971年にキハ65が増備された際に余剰となり、一旦千葉地区で夏季輸送に使用するため1971年7月1日付で千葉へ転属したのち、夏季海水浴輸送が終了後の8月24日付で米子へ転属した。米子では急行「だいせん」「さんべ」を中心に山陰本線の急行で使用され、1970年代中盤に冷房化された。米子では国鉄末期まで長く使用されたが、「60-3改正」で山陰本線西部の急行が大幅に削減された際に余剰となり、1985年3月17日付で鳥取へ転属するも同年5月7日付で廃車となった。

前面は、米子時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは前述の通り後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは原形のスリット式カバーである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。当車は夏季輸送で千葉へ配置された経験があるため、キハ58形では珍しく貫通扉に千葉タイプのヘッドマークステイが残っている。
側面はほぼ原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態であり特筆すべき点はない。
床下もほぼ原形のままである。


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