キハ58 98



1961年12月25日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で盛岡機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット97〜99全車が盛岡へ配置されている。盛岡では急行「陸中」等の東北本線の幹線急行で使用開始した。東北本線全線電化後も引き続き盛岡配置で仙台以北の東北本線急行で活躍した。1974年には新設された秋田運転区の拡大により一部運用が盛岡から秋田へ移管され、当車は1974年3月25日付で秋田へ転出した。秋田では幹線急行の「しらゆき」「おが」の他、東北北部の支線急行で活躍した。「57-11改正」後も秋田に残り、細々と残ったローカル急行に使用されたが、急行「むつ」が特急格上げされた「60-3改正」で余剰となり、1985年3月18日付けで再び盛岡へ転出した。以降山田線・釜石線・花輪線・田沢湖線等の盛岡周辺の勾配路線で普通列車で使用され、国鉄末期の1987年2月に盛岡色へ変更されてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き前述の路線を中心に普通列車で使用された。しかし1990年よりキハ110系が大量投入され釜石線がすべて置き換えられると当車は余剰となり、1992年10月1日付で廃車となった。

前面は、東北地区では珍しく前面補強された形跡が無い。ワイパーはWP50に更新されているが、手すりの位置はそのままで、秋田地区の特徴である。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去されており、JR東日本でよく見られた形態である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、一時両側とも回転蓋式となっていたが、運転席側の蓋は後年取り外され、スリット状のカバーのみとなっている。放送用ジャンパ受栓は、盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形であるが、秋田時代に汚物処理装置を取り付けていた関係で、便所側面に点検蓋が設けられている。
床下はほぼ原形で、単線用スノープロウを付けている。


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