キハ58 100



1961年12月25日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で秋田機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット100〜102のうち、当車のみが秋田へ配置されている。秋田では奥羽本線・羽越本線系統の幹線急行で使用開始した。1965年には需給の関係で小牛田へ転出するが1966年には秋田へ戻り、急行「おが」「羽越」等で使用された。1971年度には青森運転所の急行型気動車縮小に伴う車両転配があり、当車は1971年度中に山形へ転出した。山形では急行「ざおう」を始め、「月山」「もがみ」「べにばな」等の支線急行で活躍した。1981年には「55-10改正」以降各地から冷房車が山形へ転入し、当車は玉突きで1981年3月6日付で弘前へ転出した。弘前では当時配置されていた若番車に代わり、急行「深浦」や「むつ」等奥羽本線北部を中心に活躍し、東北新幹線開業の「57-11改正」では急行が大幅削減された後は弘前をベースに五能線や花輪線のローカル輸送をメインに使用されるようになった。「59-2改正」では需給の関係で車両交換があり、1984年2月2日付で秋田運転区へ転出するが、「60-3改正」では再び弘前へ戻り1985年3月16日付で転出した。そして国鉄最後の「61-11改正」では1986年11月2日付で盛岡へ転属し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後の盛岡では山田線・釜石線・花輪線・田沢湖線等の盛岡近郊の路線を中心に普通列車で使用された。しかし1990年よりキハ110系が大量投入され釜石線がすべて置き換えられると当車は余剰となり、1993年2月1日付で廃車となった。

当車はキハ81系譲りのDT27系台車を装備していた珍しい車両である。
前面は、東北地区では珍しく前面補強された形跡が無い。ワイパーはWP50に更新されているが、手すりの位置はそのままで、秋田地区の特徴である。正面窓上の通風口は両側とも残存している。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーは、シャッター式に改造されている。放送用ジャンパ線受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左上付近に移設されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形であるが、当車は側面の形式番号が赤色で書かれている。
床下は、キハ81系転用のDT27系台車が異彩を放っている。また単線用スノープロウを付けている。


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