キハ58 102



1962年1月10日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区へ配置された。同一ロット100〜102のうち、101・102が和歌山へ配置されている。和歌山では急行「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行列車で使用されたが、1964年に和歌山に長大編成用キハ58 400番台が投入された際に捻出され、当車は1964年12月11日付で高崎へ転出した。高崎では両毛線経由の急行「わたらせ」や長野原線に直通する急行「草津」で使用されたが、1967年の長野原線線電化で高崎の急行型気動車運用が減少し、当車は一旦千葉地区で夏季輸送に使用された後四国へ転出することになり、1967年6月に館山へ転出後、9月に高松へ転出した。高松では四国全域の急行で使用され、1972年度には冷房化された。その後も長く四国全域で使用されたが、1978年には長野から高松に大量のキハ57が転入し、これと玉突きで高松から徳島へ車両の移動が行われ、その際に1978年10月12日付で徳島へ移動した。徳島では高徳本線の急行「阿波」「むろと」等で使用されたが、1980年には四国全体で短編成化が行われ、この時に後期車が徳島へ転入したことから当車は捻出され、1980年10月14日付で七尾へ移動した。七尾では残存していた非冷房キハ58やキハ55系を置き換え、急行「能登路」や普通列車で活躍した。七尾では長く活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は、1988年に能登線が廃止された関係で余剰となり、山陰本線京都口の50系客車列車の気動車化のため1988年9月10日付で福知山へ転出した。福知山では山陰本線の他、舞鶴線・宮津線等で使用されたが、1990年には山陰本線園部電化及び宮津線の廃止により捻出され、1990年3月で余剰となる。宮津線は北近畿タンゴ鉄道へ継承されたが、当鉄道では廉価版の団体・波動用車両導入を計画しており、当時キハ65に余裕が無かったこともありキハ58系の当車がその種車に抜擢され、JR西日本で1990年3月1日付で廃車になった後「レインボーリゾート」の展望車に改造され、KTR2002として再出発した。当車は当時JR西日本で進められていたキハ65へのエーデル化改造をキハ58系へ施工したものであり、キハ58系では特異な存在であった。北近畿タンゴ鉄道では、タンゴエクスプローラーを補完する臨時特急や団体・波動輸送に使用されたが、タンゴエクスプローラーが2編成に増備された1992年以降は次第に持て余すようになり、1996年3月の山陰本線電化に伴い電車特急と併結可能なKTR8000が5編成導入されたことにより余剰となり、老朽化も進んでいたことから1996年3月中に廃車となった。

前述の通り、キハ58系で唯一のエーデル化改造車であり、特異な存在である。
前面は、JR西日本の「エーデル」シリーズの展望車と同じ形状へ改造されており、丸みを帯びた形状と丸目により独特の表情である。
側面は、前位側がエーデル展望車へと改造されており、種車の面影はない。車体中央から後位側は原形を保っており、エーデルシリーズながら張り上げ屋根で窓も開く構造がキハ65改造車と異なっている。エーデルへと改造された際に汚物処理装置が取り付けられ、その点検蓋が側面へ設けられている。
屋根上は、前位側は展望室へ改造された関係で大幅に手を加えられている。展望室用の集中式クーラーが取り付けられている。その後位側は通風機まで含め原形のままで、前位側とのギャップが著しい。屋根上の水タンクは金沢時代に角ばったものへ改造されており、当車の金沢時代の唯一の名残であった。
前位側がスカート等を含め車体形状変更に伴い改造されている。また後位側は前述の通り汚物処理装置が取り付けられている。それ以外は機関等含めほぼ原形である。


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