キハ58 103



1962年1月20日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区へ配置された。同一ロット103・104両車とも和歌山へ配置されている。和歌山では急行「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行列車で使用されたが、1963年より京都発着列車を梅小路機関区へ移管することになり、同年度中に転属した。その後は急行「志摩」「しらはま」「はまゆう」等で活躍した。1972年には同急行用にキハ65が新製投入され当車は捻出され、同年度中に宮原へ転出し、急行「ゆのくに」「ちくま」「みまさか」「丹波」等で活躍するようになり、1970年代中盤に冷房化されたものと思われる。1980年には向日町担当の急行「しらはま」が大幅に縮小され急行「紀の川」となり、この際に捻出されたキハ58が宮原へ転入し、当車は玉突きで七尾へ転属した。七尾では急行「能登路」や七尾線・能登線の普通列車で活躍したが、1983年3月には、広島運転所との間で汚物処理装置の有無より車両の交換が行われ、同装置を装備しない219・236・289・290が3月12日付で広島から転入し、装備する103・447・448・449が3月17日付けで広島へ転出した。広島では急行「ちどり」「たいしゃく」等芸備線・木次線の急行で使用された。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行「丹波」の廃止により向日町の状態の良いキハ58系が広島へ転入すると余剰となり、1987年2月2日付で廃車となった。

前面は、七尾時代に前面補強がされていると思われるが、補強板の境目は分かりづらい。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりは撤去され、金沢局標準の形態である。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォン下部で左右離れた位置となっている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間付近に移設されている。タイフォンカバーは宮原時代にシャッター式に改造されている。テールライトは、運転席側のみ外ばめ式に改造された、金沢地区独特の形状である。
側面は、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、関西標準の、縦長の開口部に蓋がビス止めで設けられている。広島では車両側面中央部窓下にサボ挿しが増設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。


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