キハ58 104



1962年1月20日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区へ配置された。同一ロット103・104両車とも和歌山へ配置されている。和歌山では急行「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行列車で使用されたが、1963年より京都発着列車を梅小路機関区へ移管することになり、同年度中に転属した。梅小路では京都発着の急行「志摩」「はまゆう」「くまの」「しらはま」で使用されるが、組織変更で梅小路の配置は1972年に向日町へ移管された。その後も一貫して両急行に使用され、1970年代中盤には冷房化された。その後も長く向日町で活躍したが、1982年5月17日の関西本線名古屋口電化による時刻修正で急行「はまゆう」の1往復が廃止となり余剰となり、1982年6月13日付で亀山へ転出した。亀山では関西本線・信楽線の普通列車でキハ55系に代わり使用されるようになったが、向日町時代に汚物処理装置を取り付けておりこれを活用する要請があったことから、1983年3月7日付で広島へ転属し、代わりに広島の汚物処理装置未取り付け車が亀山へ転属する動きがあった。広島では急行「ちどり」「たいしゃく」等芸備線・木次線の急行で使用された。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行「丹波」の廃止により向日町の状態の良いキハ58系が広島へ転入すると余剰となり、1987年2月2日付で廃車となった。

前面は、向日町時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転室窓下の手すりは原形のまま位置が若干下がった程度であり、広島時代にワイパー更新されたものと思われる。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォン下部で左右離れた位置となっている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間付近に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは内ばめ式のままである。なお当車は新潟以南では珍しくデフロスタが助手席側にも取り付けられており、温暖地で主に活躍した当車がなぜ両側に取り付けられたかは不明である。
側面は、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、関西標準の、縦長の開口部に蓋がビス止めで設けられている。広島では車両側面中央部窓下にサボ挿しが増設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下は、汚物処理装置が設置されている以外はほぼ原形である。


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