キハ58 108



1961年2月7日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で名古屋第一機関区へ配置された。同一ロット108・109両車とも名古屋へ配置された。名古屋では中央西線の急行「しなの」をはじめ、高山本線や紀勢本線等で広く活躍した。しかし1963年には長大編成用の400番台が中央東線に新製投入され、捻出された0番台が名古屋に転入したことから車両の入れ替えが発生し、当車は1963年10月5日付で盛岡へ転出した。以降当車は北東北をメインで活躍する。盛岡では急行「陸中」等の東北本線の幹線急行で活躍し、東北本線の全線電化後も引き続き盛岡配置で仙台以北の東北本線急行で活躍した。1974年には新設された秋田運転区の拡大により一部運用が盛岡から秋田へ移管され、当車は1974年3月25日付で秋田へ転出した。秋田では幹線急行の「しらゆき」「おが」の他、東北北部の支線急行で活躍した。「57-11改正」では秋田担当の幹線急行が廃止され、キハ55置き換えのため、1982年11月19日付けで再び盛岡へ転出した。以降山田線・釜石線・花輪線・田沢湖線等の盛岡周辺の勾配路線で普通列車で使用された。国鉄末期の1987年2月に盛岡色へ変更され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は引き続き前述の路線を中心に普通列車で使用された。しかし1990年よりキハ110系が大量投入され釜石線がすべて置き換えられると当車は余剰となり、1992年10月1日付で廃車となった。

前面は、東北地区では珍しく前面補強された形跡が無い。ワイパーはWP50に更新されているが、正面窓下の手すりの位置はそのままで、秋田地区の特徴である。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去されており、JR東日本でよく見られた形態である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは、運転席側が回転蓋式・助手席側がシャッター式となっており珍しい。放送用ジャンパ受栓は、盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形であるが、秋田時代に汚物処理装置を取り付けていた関係で、便所側面に点検蓋が設けられている。
床下はほぼ原形で、単線用スノープロウを付けている。


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