キハ58 110



1962年2月14日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区へ配置された。同一ロット110・111両車が和歌山へ配置されている。和歌山では急行「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行列車で使用されたが、1963年に和歌山に大量の長大編成用キハ28 300番台が投入された際にキハ58 0番台が各地へ転出し、当車は1963年度中頃に梅小路へ転出した。梅小路では京都発着の急行「志摩」「はまゆう」「くまの」「しらはま」で使用されるが、組織変更で梅小路の配置は1972年に向日町へ移管された。その後も一貫して両急行に使用され、1970年代中盤には冷房化されたが、1982年5月17日の関西本線名古屋−亀山電化に伴うダイヤ改正で急行「はまゆう」の1往復が廃止となり、当車は1982年5月20日付で亀山へ転出し、キハ35系に混じり普通列車で使用されるようになった。その後、「59-2改正」時に、亀山に在籍していた汚物処理装置取り付け車を有効活用することから、1984年2月に広島へ転出した。その後は国鉄末期の「61-11改正」で広島受け持ちの急行「ちどり」の縮小が行われ初期車は軒並み余剰となったが、当車は残留組となりJR西日本へ継承された。JR化直後の1988年3月には芸備線急行の減車が行われ、3両基本編成から2両基本編成へ変更される。これにより当車は余剰となり、1988年9月28日付で福知山へ転出した。福知山への転出は、当時山陰本線京都口で残っていた50系客車列車を気動車化し、運転効率を上げることと冷房化率を上げるのが目的であった。しかし1990年3月には山陰本線京都口が電化されることになり福知山のキハ58系は大量に余剰となるが、当車は引き続き福知山に残り急行「丹後」「但馬」に使用された。しかし急行の減車もあり1993年3月31日付で廃車となった。

外観は向日町時代の形態を色濃く残している。
前面は、前面補強は向日町時代由来の関西地区タイプであるが、当車は助手席側もワイパー部の切り欠きが目立つ。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーは原形のスリット式である。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間へ移設されている。
側面はほぼ原形であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋が開けられ、ビス止めされている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下もほぼ原形であるが、後位側に汚物処理装置が取り付けられている。


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