キハ58 112



1962年2月20日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で和歌山機関区へ配置された。同一ロット112〜114のうち、112・113が和歌山へ配置されている。和歌山では急行「きのくに」をはじめ紀勢本線の急行列車で使用されたが、1963年に和歌山に大量の長大編成用キハ28 300番台が投入された際にキハ58 0番台が各地へ転出し、当車は1963年度中頃に米子へ転出した。米子では急行「だいせん」等の山陰本線急行で使用されたが、米子に長大編成対応の増備車が投入された際に捻出され当車は1965年12月12日付けで美濃太田へ転出した。美濃太田では急行「のりくら」をはじめ高山本線の急行を中心に使用された。1972年3月のダイヤ改正で冷房車を巡る車両交換があり、同改正時に長野へ転属した。長野では中央西線の急行「きそ」をはじめ、「ちくま」「ゆのくに」「越後」等で活躍したが、1973年7月の中央西線全線電化に伴うダイヤ改正で急行「きそ」の一部が電車化されたことから余剰となり、1973年度に新潟へ転属した。新潟では主に急行「赤倉」「いいで」「羽越」「べにばな」等で活躍したほか、キハ55に混じり普通列車でも使用された。その後「55-10改正」で各地で急行の削減が行われるとキハ58冷房車が大量に新潟へ転入し、当車は玉突きで1981年1月24日付で竹下へ転属した。一旦完全冷房化を達成した九州へ再度出戻りであったが、非冷房の当車はキハ55系置き換え用で主に博多近郊の普通列車で使用された。しかし国鉄末期には急行の減車等により冷房車が普通列車にも使用されるようになり、また地方交通線の廃止も進んだことから余剰となり、1986年12月1日付で廃車となった。

前面は、新潟時代に前面補強されている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。制御用ジャンパ線納めは冷房車に準じタイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。当車のステップはタイフォンに横にあるが、標準よりも高い位置に付いている。タイフォンカバーは、スリット状ながら九州特有の形態のものを装備している。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。デフロスタは九州では取り外されている。
側面では、新潟地区特有の乗務員室窓バランサー点検蓋が取り付けられている。その他はほぼ原形である。
屋根上は水タンクが新潟及び1980年代前半の金沢標準の平らなものに交換されており、九州では異彩を放っている。
床下はほぼ原形のままである。


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