キハ58 114



1962年2月20日富士重工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で竹下気動車区へ配置された。同一ロット112〜114のうち、当車のみ竹下へ配置されている。竹下では主に長崎本線系統及び九州北部の急行列車に長く使用され、1970年7月には冷房化された。1974年4月には日豊本線南宮崎電化に伴うダイヤ改正があり、この際に竹下の所要数が減少し、当車は4月25日付で鹿児島へ転属した。しかし鹿児島での活躍も束の間、翌1975年には山陽新幹線博多開業に伴う「50-3改正」で運用変更があり、当車は3月9日付で大分へ転属した。大分では主に久大本線・豊肥本線の急行「由布」「火の山」で活躍した。その後「55-10改正」で九州内急行の大幅整理・減車が行われた際に余剰となり、新潟地区の冷房化促進のため1980年11月27日付で新潟へ転属した。新潟では、主に急行「赤倉」「いいで→あがの」「あさひ→べにばな」「羽越」「うおの」等で使用された。上越新幹線開業後も前記支線急行で急行の冷房化に貢献した。しかし、「60-3改正」で支線急行は軒並み格上げもしくは廃止・縮小され、当車はこの際に余剰となり、1986年3月31日付で廃車となった。

前面は、大分時代に前面補強されている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンカバーは新潟固有の竹槍状の筒を装備する。放送用ジャンパ受栓は、新潟時代に後期車と同様のステップ一体式にされている。制御用ジャンパ受栓の位置は、九州地区の形態のままで、タイフォン下部で左右に離れた位置である。
側面は概ね原形であるが、新潟時代に運転室窓バランサー点検蓋が新設され、若干小ぶりな鉄板がビス止めされている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下はほぼ原形であるが、単線用スノープロウを装備している。


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