キハ58 116



1962年3月12日富士重工製の3次車で、昭和36年度本予算(残)で宮原機関区へ配置された。同一ロット115・116両車とも宮原へ配置されている。宮原では新設された急行「越前」で使用開始し、その後急行「ちくま」「丹波」等に運用を拡大していった。しかし1964年9月以降宮原へ長大編成対応車が増備されると当車は捻出され、1964年10月23日付で鹿児島へ転属した。鹿児島では急行「フェニックス」の他、主に南九州の急行で活躍した。1967年度には需給の関係で捻出され米子へ転属している。米子では急行「だいせん」「さんべ」をはじめ、山陰本線・伯備線系統の急行で活躍した。その後1972年10月1日付で一部運用移管の関係で福知山へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」等、京都・大阪口の山陰本線系統の急行で長く活躍し、1970年代末期に冷房化されたものと思われる。その後も急行「丹波」「丹後」等、山陰本線・福知山線系統の急行で国鉄末期まで活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により福知山周辺の急行が整理された際に余剰となり、1987年2月6日付で廃車となった。

前面は、福知山時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは前述の通り後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーは原形のスリット式カバーである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上は標準的な冷房車の形態であり特筆すべき点はない。
床下もほぼ原形のままである。


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