キハ58 118



1962年3月23日富士重工製の3次車で、昭和36年度利用債で名古屋機関区へ配置された。同一ロット117〜119全車が名古屋へ配置されている。名古屋では、新設された中央西線急行「しなの」等で使用開始した。しかし1963年には早くも名古屋に長大編成対応の400番台が投入されることになり、同一ロットの117〜119揃って遠く人吉へ転出し、新設される急行「くまがわ」に使用されるようになった。1970年には冷房化され、その後も長く人吉で使用された。国鉄末期のダイヤ改正時も動きは無く、そのままJR九州に継承された。JR化後も引き続き急行「くまがわ」に使用されたが、1987年度末で人吉運転区は一旦熊本運転所に統合され、当車も熊本へ移動した。熊本移動後は、急行「くまがわ」にもアコモ改造車が充当されるようになり、当車はローカル輸送用となり、1989年5月26日付けで九州色となった。その後も豊肥本線・肥薩線の普通列車で使用されたが、九州各地でのワンマン化・減車化による車両整理で余剰となり、1995年10月5日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の小倉工場標準タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新はされ、手すりが若干下がっているのは九州の標準的な形態。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置も九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓はタイフォンの右付近に設置されているが、この付近にあるステップは撤去されている。タイフォンカバーは、原型のスリット状カバーを装備する。
屋根上は、排気口が屋根より若干飛び出している以外は、ほぼ原型である。
側面はおおむね原型である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われている以外は、ほぼ原型である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る