キハ58 120



JR東日本、新潟支社のカーペット車。

1962年6月8日新潟鉄工製の3次車で、昭和36年度利用債で鹿児島機関区へ配置された。同一ロット120〜123全車が鹿児島へ配置されている。鹿児島へは新設される急行「フェニックス」用として配置された。その後も鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用されたが、電化による急行再編で1970年度に竹下へ移動した。前後して冷房化される。竹下では長崎本線系統の急行を中心に使用されるが、1974年度には需給の関係で大分へ転出し、豊肥・久大本線の急行「由布」「火の山」を中心に使用された。「55-10改正」で日豊本線全線電化と共に急行列車の整理が行われ当車は余剰となり、新潟地区の急行冷房化のために1980年11月27日付で新潟運転所へ転出した。新潟では、主に急行「いいで→あがの」「あさひ→べにばな」「羽越」「うおの」「赤倉」等で使用された。上越新幹線開業後も支線急行で急行の冷房化に貢献した。しかし、「60-3改正」で支線急行は軒並み格上げもしくは廃止・縮小され、当車はこの際に余剰となるが、幸運にも余剰車の有効活用でカーペット車化されることになり、1985年4月24日付で改造された。改造当初は塗装もそのままで他車との区別はなかったが、1986年度に、クリーム色ベースに緑ストライプの新塗装へ変更され、そのままJR東日本に継承された。1992年1月には機関換装され、カミンズ製DMF14HZに更新された。当初余剰活用車で若番車である当車が選ばれたが、これが幸いし後年まで長く新潟地区で活躍することとなった。1991年11月1日には組織改正で新津運輸所へ移管した。1995年には現行のグレーベースの新塗装へ変更されたが、老朽化のため2002年6月12日付で廃車となった。

前面は、新潟時代に前面補強されている。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。水切りは撤去されていない。デフロスタは、新潟地区標準で両側に付いている。ワイパーは、WP50に改造され、前面補強時に正面窓下の手すりが左右共に若干位置が下がっている。テールライトは外ばめ式にされており、これは新潟タイプの前面補強では標準的な施工であった。タイフォンカバーは、後期の新潟タイプで下半分がメッシュ状の筒をかぶせたものとなっている。放送用ジャンパ受栓は、新潟時代に後期車と同様のステップ一体式にされている。制御用ジャンパ受栓の位置は、九州地区の形態のままで、左右に離れた位置である。
側面では、運転室窓バランサー点検蓋が新設され、新潟地区では比較的小さい鉄板がビス止めされている。車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。新潟地区では側面窓下にサボ差しを装備していたが、当車は団体輸送専用であったからか、付いていない。
屋根上は通風器は原型であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。雨どいが、新潟地区特有の、鉄板で滑らかに処理されたタイプとなっている。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンクは原型のままである。


1988年頃

↑JR化直後の1988年頃の姿。まだ雨といが原型である。


1990年頃

↑1990年頃の時点では雨といが張り上げタイプに更新されていた。その際に新しい雨とい付近は斜めストライプが掛かっていたかったのが珍しい。



1992年頃

1992年頃の姿。1992年1月には機関がカミンズ製に更新され、側面の給水口が埋められている。その他、タイフォンは従来の竹槍状のものから円筒形のカバーを被せたようなものに変更されている。また、1990年頃の時点では雨とい更新部に斜めストライプが塗られていなかったが、この時点では他社と同様雨とい上部まで斜めストライプが塗られている。またこの時点では側面の「Carpet」のロゴが省略されている。



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